じゅうたんの教科書 Glosarry 用語集 no2.

Posted by tribe on 2021年9月1日

じゅうたん 用語集 Glosarry 用語集 vol.2
*英語のアルファベットA-Z順【】内はジャンルの一例です。 【技法】、【地名】、【部族名】、【歴史】、【機能】、【アイテム】、【染料】などなど。

Anatolia:アナトリア【地名】
現在のトルコのアジア側地域の地名。歴史的には小アジアと呼ばれることもありますが、現在のトルコのアジア側(東側)の半島はアナトリア半島と呼ばれ、紀元前18世紀に存在した「アッシリア」との関係も深いと言われています。

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アナトリア半島

And Khoy:アンドホイ【地名】
トルクメン国境に近いアフガニスタン北部のトルクメン族の多く住む町です。
トルクメンの一支族であるエルサル系部族の大きなギュルが配列された重厚でどっしりしたデザインと、深くて落ち着いた赤い色の絨毯が特徴で、それらの絨毯が集積される町としても有名です。

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アフガニスタン北部

Aqcha:アクチャ【地名】
アフガニスタン北部のトルクメン系絨毯産地のひとつアクチャは、アフガニスタン北部の町です。シェベルガンの東約50キロ、マザリシャリフの西100キロに位置しています。頑丈でしっかりした赤系の絨毯で有名です。

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アフガニスタン北部の典型的な絨毯

Arabesque:アラベスク【文様】
アラベスク文様。ウィキペディアではモスクの壁面装飾に通常見られるイスラム美術の一様式となっています。日本語では唐草文様とも呼ばれますが、15~16世紀イランのイスファハンに首都を配したサファビ朝時代にナクシェイスリミ(唐草の意匠)として発達しました。ペルシャ絨毯を代表するデザインのひとつですが、現在では様々な装飾美術に取り入れられています。

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イスリミと呼ばれるアラベスク文様

Arab: アラブ【民族】
アラビア語を話す人々でイラクから西側地域、北アフリカからサハラ砂漠にいたる地域で生活する人々です。アフガニスタン〜ウズベキスタン周辺の山岳地域にも古くからアラブ系遊牧民が存在し、ジュルヒュール(熊の毛皮)と呼ばれるプリミティブな敷布団用のラグが織られています。

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シリアのアラブ系ベドウィン族 1893.

Arak:アラク【地名】
北西イランの伝統的な絨毯産地のひとつ。現在のアラクはイラン・マルキャズィー州の州都で、旧名はソルターナーバード。
イランの中心部に位置する良好な立地、多様な住民、また便の良さなどにより、時に現在の首都テヘランに変わる首都移転候補地の1つともされました。
19世紀にはヨーロッパへ輸出する絨毯の産地(ソルターナーバード)として大いに栄えました。

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イラン西部の町アラク

Ardebil:アルダビル【地名】
アルダビルは、サフアビ朝(1499-1722)に名前を与えた14世紀のスーフィーの教団長である、Safiad-Din の埋葬されていた土地です。最初の支配者シャーイスマイリ(1457-1524)は長老の孫で墓を彼の墓のすぐ側に建てました。ロンドンのヴィクトリアアンドアルバート美術館にある、イスラム美術の宝の一つである『アルダビル・カーペット』またロサンゼルスのカウンティアートムュジアムにある ロンドンとペア-の「アルダビル・カーペット2」はアルダビルのサーフィー長老のモスクから来たと言われています。
この2枚の絨毯については作製地に関して疑いがっていますが、その理由はこの絨毯がモスクに敷くには大きすぎるからという事と同時に、一枚目が1893年にヴィクトリアアンドアルバート美術館に売られた時、2枚目の方を金目当ての陰謀と隠匿が取り囲んだこともその理由です。
美術館に収める場面では工芸家のウィリアムモリスが関係していたと言われています。『アルダビル』という名称は、取引の中で、葉をあしらった唐草文様のフィールドに、中央のメダリオンと16個のペンダントのデザインを表すものとしても使われてきました。

<参考>アルデビル絨毯:1539/40年にタブリーズで作製され、イラン、アルデビルのシェイヒ・サフィー・モスクに寄進されたとされている一対の絨毯。一枚が10.5X5.4mという大きさから考えて、当時このモスクのために織られた可能性は薄く、現存するペルシア絨毯の傑作のひとつとされています。メダイヨンとモスク・ランプを表す独特の文様構成をとる絨毯です。杉村棟氏『絨毯シルクロードの華』用語集より

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アルダビルを代表するシャイフ・サフィー・アッディーン廟

Armenia:アルメニア【地名=民族】
アルメニアおよびアルメニア人は絨毯にはとてもかかわりの深い地域および民族です。歴史的にも古くA.D.300年ころからキリスト教の国としてトルコの東、イランの北、そしてコーカサスの南側に含まれる地域に位置しています。アルメニア正教の教会なども同時期に造られ、現在でもイラン~トルコ国境付近に点在しています。英語のカーペットの語源がアルメニア語の「カペルト」に由来するという説もあり、シベリアで発見された世界最古の「パジリク絨毯」の製作にもアルメニア人の影響があったのでは無いかという研究もあるようです。

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2000年の歴史を持つアルメニア教会

Asmalyk:アスマリク、アスマルク【機能】
トルクメン族の民俗に伝わる婚礼用のラクダのこぶ飾り。通常ヒトコブラクダのこぶの両側に掛かるようにペアー(2枚一組)でパイル技法織られる。こぶの形に合わせた5角形のものがほとんどですが、7角形のものや刺繍製のものもまれに見られます。コレクションや博物館で見られるものの多くは、ヨムート支族の赤系統ものです。まれにヨムート族の白地のもの、エルサリ族のものテケ族の鳥柄のモチーフが見られますが、それらはマニアの間では高い評価を得ています。また幻のT字型のサロールアスマリクはもはや伝説となっています。
トルクメン族の婚礼はとても重要な儀礼で、花嫁はラクダに乗って新郎の元に嫁ぎますが、アスマリクはその際に5角形の頂点を縛りラクダのコブの両側にぶら下げる、コブを飾るためだけの他に例を見ない特別なラグです。

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トルクメン族特有のラクダのこぶ飾り(アスマリク)

Asymmerric knot:アシンメトリカルノット 非対称結び【技法】
絨毯の結び方。ペルシア結びあるいはセネ結び(ノット)とも呼ばれています。いわゆるペルシア絨毯などの多くがこの結び方ですが、右開きと左開きがあり、いわゆるペルシャ絨毯は向かって右側がオープンとなる右開きが、トルクメ二スタンでは反対がオープンとなる左開きの技法(結び方)が継承されています。
*画像は右開き

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非対称結び(セネノット)別称ペルシャ結び

Ashkabad:アシュカバード【地名】
アシュガバートは現在のトルクメニスタンの首都で元々はトルクメン最強支族テケ族が多く暮らしていた地域です。トルクメン絨毯の工房が存在するトルクメン絨毯最大の集積地です。
アシュガバートは大理石で飾られた首都で、トルクメニスタン最大の都市ですが、北はカラクム砂漠、南はイランから20km離れたコペート・ダグ山脈に挟まれた場所に位置しています。1881年に要塞として設立された比較的若い都市であり、近隣の集落であるアシュハバードの名をとって命名されたと考えらており、アシュカバードの意味は、現代ペルシャ語で「愛の町」「献身の町」を意味します。

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イタリアから輸入した白い大理石で築かれたアシカバードの新市街地

参考資料及びウェブサイト:CarpetEncyclopediawikiwand Bedouin