💎フィルゼ(トルコ石)色のタクシーが空を飛んだ。
Posted by tribe on 2020年6月6日
日本では一度もないのですが、何故か海外では飛行機に乗り遅れたり、遅れそうになることが多いです。
イランは航空券が比較的安いので、人気の国内路線ではチケットを取るのが大変です。
あまり英語が通じないのでトラブルは避けたく、できれば時間通りに行動したいのですが、何故か飛行機に乗り遅れます。
最初に乗り遅れたのは、3度目のイランの旅で、テヘランからシラーズに向かうイラン人にも人気の便でした。
この頃は今よりもいっそうイランビザを取るのが難しく、入手するにはイラン国内での旅のスケジュールを全て報告し、大使館から紹介された旅行代理店を通じての行動しかできないような時代でした。
その背景には直前まで沢山のイラン人が来日し、代々木公園や上野の恩寵公演にたむろして偽造テレフォンカードなどを販売して捕まったり、一部の人達の軽犯罪が問題になった直後の時期でした。
そのことについて書くと長くなりますが、目立った行動をとった僅かなイラン人のためにそれまではビザ無しで入国できたのが、大変に厳しいビザ制限が出しまい、その後一般のイラン人はほぼ日本へ来ることができなくなっていました。
その時はおそらくその報復措置として、日本人にもイランへ入国するビザを制限していたのだと思います。
いつもドラマがあるメヘラバード空港
当時はテヘランの市内にメトロ(地下鉄)はなく市内の移動は、乗合タクシーか満員のバスもしくは自家用車でした。
そのためテヘラン市内はいつも大渋滞、宿泊先からバザールまで行くのに1時間近くかっていました。今ではメトロ(地下鉄)で15分で到着します。
テヘラン市内の渋滞緩和と排気ガスによる環境汚染への取組から、ナンバーの末尾が奇数、偶数によって自家用の市内への乗り入れ制限もありました。
ほぼ車の移動手段しかなかったテヘラン市内の空気は最悪で、目はチクチク、喉はいがらっぽく、当時は誰もが苦情を言っていました。
このところは国内線でしか利用しなくなりましたが、思い出深いメヘラバード国際空港まで行くのはいつも一苦労でした。
今はテヘランの郊外にイマームホメイニ空港ができ、メヘラバードを利用することはめっきり少なくなりましたが、いつ行ってもドラマのある空港でした。
メヘラバードは到着・出発ロビーともに常に人でごった返していて、最初は凄い有名人かサッカーチームの海外遠征に重なったのかと思っていました。
実はそうではなく海外に旅立つ家族の見送りか、海外生活からの一時帰国する家族の出迎えにたくさんの人達が集まり、恋人や子供の帰還に歓声をあげたり、息子との別れを惜しむ母親が泣きじゃくったりと、普通の人達が家族との出会いや別れに一喜一憂しているということが少しづつわかってきました。
バラの花束を持った美しいイラン人女性たちが群がっている到着ロビーのドアを開けて外に出ていくのは、自分のことではないのはわかっていても高揚しました。
何度行ってもこの光景は繰り返さるので、ある意味で楽しみにもなっていました。
出国ロビーはそれとは逆で、最愛の家族との別れを惜しむ人達の涙と、悲しみのオーラが何故か伝わって寂しい気持ちになりました。
イラン人男性の5分の1は海外に住んでいるという噂話を聞いたことがありますが、商業の才能豊かなイラン人は相当昔から個人商社マンとして海外でビジネスを行って来た歴史を持っています。
ある時知り合い日本で貿易の仕事をしているイランの人と空港で一緒になったのですが、彼の財布には、円、ドル、ポンド、フラン、マルク、ルーブルなどなど世界各地の紙幣が入っていたのが印象的でした。(ヨーロッパがEUになる前でした。)
世界を股にかけてビジネスを行っている事の証として色々の紙幣を財布に入れておくのだそうですが、とても印象的に残っています。
マシャドとタブリーズには毎年行っているのですが、15年程前は週に1便だけマシャド〜タブリーズの直行便が出ていました。
テヘラン経由であればたくさんのフライトがあるのですが、マシャド〜テヘラン、テヘラン〜タブリーズはどちらもビジネスマンには人気のフライトでチケットが取りにくかったり、スケジュールが合わないと空港で半日以上待つこともあるので、直行便は楽でした。
またマシャドからタブリーズへのフライトはイラン最大のエルブルズ山脈の真上を通過するので景色が美しく、天気が良ければイランの富士山と呼ばれるダマバンド山とターコイズ色に見えるカスピ海を見る楽しみもありました。
イマームレザー廟の方から来たタクシー
その年も順調に仕入れが終わり翌日はタブリーズへ向かう予定でした。
苦労して手に入れたタブリーズ行きのアーセマン航空のフライトは朝の6:20分発と早かったのですが、旅の最中は緊張感で早起きしてしまうことも多かったので、前の晩はあまり気にしては居ませんでした。
ところがその日はハードだった仕入れの疲れからか爆睡してしまい、目が覚めたら6時でした。宿泊先から空港まではどう急いでも20分以上はかかります。
いくらイランの航空事情でも10分前にはチェックインしないと間に合いません。
「もうダメかとまたやっちまった!」と一瞬思ったのですが、荷物の準備はできていたのでダメもとで飛行場まで行ってみようと瞬間的に思いました。
支度を5分で済ませホテルから大通りまで走りました。
マシャドも公共交通機関は車かタクシーだけなのですが、早朝はタクシーも少なくもしタクシーが捕まらなければアウトでした。
すると町の中心部ハラム(シーア派の聖地イマームレザー廟)の方からターコイズ色のタクシーが魔法のように現れました。即座に(フルドガー=空港)と告げました。
運転手は早朝にもかかわらず若くてハンサムなまるでモハンマドのような髭を蓄えた男でした。この時ばかりはもし老人でのんびりと運転されては到底間に合いません。
心臓がバクバクしてきましたが、運転手は無言で空を飛ぶように車を走らせました。何度も通った道ですがどう急いでも20分はかかる道のりがジャスト10分で空港につきました。
今思い出してもあれは空を飛んだとしか思えません(笑)ジャスト6時20分にチェックインカウンターに走りこみましたが、この時は幸いに手荷物だけでした。
もし大きな荷物があれば搭乗を断られていたことでしょう。
もう帰ろうとしていたカウンターの男は、本当はダメだけと今回だけはしょうがない!というような顔をしながらも渋々ボーディングパスを発行してくれました。
遅れる事の多いイランの国内線ですが、この時ばかりは何故かジャストオンタイムでした。
ゲートから飛行機までのバスはもう出てしまっていたので、とにかく飛行機の入り口まで走りました。
階段を外そうとしていたのを元に戻して、なんとか機内へ。最後列の席でしたが搭乗者全員がきっちり座っていて、「誰だこの遅刻した奴は!」というような冷たい視線を浴びながらの最後尾の席へ向かう僅かな距離の通路はとても長く感じました。
背後から「ジャポン?」という声が聞こえたような気がしたのですが、「遅れたのは日本人だ!」と言われていたかもしれません。
時間に正確な礼儀正しい日本人の評判を落としてしまったかと思いつつも、この奇跡には感謝せずにはいられませんでした。「インシャアラー」
マシャド滞在の際には毎年欠かさずお祈りしている、イマームレザー廟から飛んできたフィルゼ(トルコ石)色のタクシーが神からの恩寵のように思えるのでした。。。