趣味の価値 脇村義太郎著 ~ペルシア絨毯の価値と流通史~

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今年のゴールデンウィークも大英博物館展やルーブル美術館展などが開催されているようですが、このところは数多くの美術品や歴史的価値を持つ貴重な品々が日本の美術館や博物館でで展示されるようになりました。今は世界的なコレクションの実物を間近で見る事ができるような時代です。価値の高い絨毯に関してはほとんど日本に来ることはありませんが、世界中の絨毯愛好家に高い評価を得ている絨毯がどのように美術家に美術館に収集されたのか?また当時はどのくらいの価格だったのか?今回はそんな内容です。
日本人による絨毯研究が少ない事を紹介し続けていますが、文献や資料が比較的多く残ってる分野が経済学者の見た流通的な側面ですが、「趣味と価値」はその先駆けとも言ええるでしょう。

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岩波新書 趣味の価値 脇村義太郎著

手織り絨毯の収集と流通

1967年初版とあるので50年近く前の出版ですが、今読んでもまったく古さを感じない内容です。まずはじめに石油関係の貿易に精通していた脇村義太郎氏が、当時からグローバルな視野を持つ経済学者であった事が伝わってきます。内容は絨毯にとどまらず世界中の美術品を収集してきた欧米の成功者達がどのように収集を行い、どんな商人達がその流通にかかわってきたのかが詳細に紹介されています。

ペルシャ絨毯について書かれた第8章『ペルシャ絨毯の美』〜アルメニア・マンチェスター・ロンドン商人〜という20ページほどのテキストには、当時のイランなかでもコーカサス〜ロシアとトルコに近いタブリーズのバザールを中心とした絨毯のロジスティクスが中心に紹介されています。
アルメニア・マンチェスター・ロンドン商人達の活躍を縦軸に、絨毯の文様・染料・素材などがいかに当時の絨毯生産との関わりを持っていたのかを横軸として、経済学者らしい分析力で綴られています。

現代ペルシア絨毯が成立する過程

例えば19世紀の現代絨毯工業の誕生にあたっては、外国染料とくにドイツ染料の浸入が大きな要素となっていたようです。積極的なドイツ商人達はこの機会を捕らえて盛んな売りこみを行いました。しかし不幸にして最初のドイツ染料は品質がすぐれていなかったために不評を買い、失敗したケースが多かった事が記されています。これは以前に紹介した「トルコ絨毯が織りなす社会生活」にも取り上げられています。

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イラン南部 ケルマン地方の糸杉文様アンティーク絨毯 

ヨーロッパにいち早く絨毯を売り込む事に成功したケルマン地方でさえ最初「えんじ虫=ラック」の赤の変りにドイツ染料を使用したところ失敗し、それ以後ケルマンでは動植物染料を主体として、今日のケルマン絨毯の優秀さをささえる原因となっているそうです。またデザインにおいてもケルマンには、すぐれた2人のデザイナー「モーヤン・カーン」と「アーネット・カーン」と彼らの子供や孫「ハッサン、カッシェン・カーン」は60年にわたってすぐれたデザインを生み出したことが、ケルマン絨毯が常に欧米で高い人気を保持してきた理由であると述べられたいます。

現代の日本のペルシア絨毯市場でコムシルクに次いで輸入量の大きいナイン地方についても紹介されています。

『ナインは人口6000人ばかり小さな古い町である。ペルシャ人の伝統的な毛織服を作っていたが、第一次大戦後ヨーロッパ風の衣服が普及し始めた時この地域の産業は行き詰まってしまった。ペルシャ人は事業に失敗する時、絨毯を思う。(中略)そこでナインの人々は高級服地用糸を取り扱う事に慣れていたのでため、熟練工は1平方インチに22X22という細かいパイルの絨毯を織る事に成功したのである。第2時大戦中はテヘランの成金達が多いにこれを買った。』

この様な具体的な絨毯産業の展開例は他にもあり、絨毯だけでなく、織物、製陶などの伝技術の誉れ高いカシャーンにおいて、マンチェスター産の、柔らかい羊毛を使用した新しいタイプの絨毯製作プロジェクトの成功例など、この当時の世界経済とリンクしたダイナミックなペルシア絨毯産業の成功と失敗の例がいくつか挙げられています。

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日本やテヘランのお金持ちに人気のナイン産絨毯

有名美術品の当時の価格と裏話

終盤では石油などの産業で財をなし、美術品の収集家としても有名なポール・ゲッテイが世界最高峰の絨毯(アルデビル絨毯など)をどうやって入手したのか具体的に価格なども含めて紹介されれています。この裏話として、アーツ&クラフツ運動で知られるウィリアム・モリスが絨毯に魅せられ、どうしてもヴィクトリア&アルバート美術館に購入を促し、募金活動まで行ったとされています。ちなみに当時の価格はおよそ7500ポンド(約百三十五万円)だったそうです。今から比べると信じられない値段です。今では数十億円でしょうか?いや、もはや値段が付けられないと思います。

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絨毯愛好家で知られるウィリアム・モリスデザインの手織り絨毯

この本を初めて読んだときに、当時の英国の美術品コレクター達の人間模様やビジネスと名誉とが絡み合った裏の駆け引きなどが紹介され興味をそそられました。絨毯好きの人だけでなく、絵画や彫刻など欧米の有名美術館に鎮座しているかの有名の美術品が、当時いかほどの価格で取引されたのかを知るはかなり面白いはずです。
マスターピースと称される絨毯やテキスタイルの多くがこの時代に原産地から欧米諸国へもたらされ、美術館や博物館に収まっている時代背景と流通史が要約されています。

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19世紀のヨーロッパで大人気を博したペルシア絨毯

日本の美術館では染織品の評価は最も低く、購入予算も最後の最後に当てられると聞いています。それに比べ祇園祭り私設美術館では世界に誇る絨毯が所蔵されています。
圧倒的に手間ひまがかかり、真贋の容易な絨毯やテキスタイルの価値がもう少し見直されることを願っています。

*一番上が世界最高の絨毯と評されるアルデビル絨毯(ロンドンビクトリア&アルバート美術館所蔵)

執筆者:T.Sakaki