トライバルラグとの出会いの旅 vol.4.〜再びイランへ〜

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Infomation(コト) -

イラクと国境いケルマンシャー地方で大規模な地震が発生しました。多くの方が亡くなられたようです。心よりお悔やみ申し上げます。
ホテルの予約も難しいほぼ観光客が増えている最近のイランですが、25年前は観光客はほとんどおらず、どこの町もイラン人だけの風景でした。
一回目の「旅日記」からずいぶんと間が空いてしまいましたが、思い出しながら綴ってみたいと思います。拙い内容ですがお付き合いください。

2度目のイラン 《テヘランからマシャド》

初めてイランを訪れた1988年3月は、イランVSイラク戦争が末期の状況で、首都テヘランはイラク軍のスカッドミサイルの攻撃によって都市機能がほぼ麻痺していました。日本大使館にも帰還勧告が出たらしく、帰りの飛行機はイラン在中の商社マンや大使館の外交官やその家族達と一緒でした。
その年の夏、9年間続いたイランvsイラク戦争が終結しました。

日本に還ってからしばらく、戦渦のイランの印象が強烈に残っていて、よくもあのような状況で旅を続けることが出来たものだと感じていました。現地では多くのイラン人から「ここで何をしているんだ?!」という質問を受けましたが、何度も過酷な状況が脳裏にフラッシュバックしていました。
無防備なままに旅を続け、家族や知人に心配をかけてしまった反省と、過酷な状況の中で親切にしてくれたイランの人々のふところの深さに、感謝することがばかりでした。

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シーア派最大のモスクがあるイラン東北地方の州都マシャド

トルクメン族のモタギー氏へ合う為に東北の町へ

いつか情勢がよくなったら、戦争中にたいへん世話になったトルクメン人のモタギー氏に会いに、彼の故郷のトルクメン族の村に行ってみたいという気持ちが強くなっていきました。イラン東北地方にあるゴンバッデカブースという町が彼の出身地ですが、イラン北部のカスピ海沿岸に位置する、バンダルトルキャマンやゴルガンなど、トルクメン族が多く住む町や村のひとつです。

そこから300キロ程東へ進めば、トライバルラグの集積地である、憧れのホラサーン地方があります。かつてはアフガニスタンのヘラートがホラサーンの中心都市でしたが、現在はシーア派の聖地マシャドがその州都になっています。
いつのまにか好きになっていたトルクメンやバルーチの絨毯が織られるホラサーン地方最大のバザールがあるものマシャドです。今回のイランの旅では是非ともイランのホラサーン(東北地方)を訪れたいと強く思うようになっていきました。

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ホラサーン地方の田舎で織られるアラブ人向けの絨毯

日本のイランのビザ問題とは?

実際にイランに向かったのは数年後の事でした。
しばらくぶりのイランでしたが、今回は出発から少しばかり問題がありました。以前はイランへの入国にビザは不要でしたが、その年あたりから、日本人がイランへの入国に関しての滞在ビザが必要になっていたのです。
その背景にはイラクとの戦争後、たくさんのイラン人が日本へ出稼ぎとしてに来日し、上野や代々木公園などにたむろする姿が目に付くようになっていました。
それまで外国人にあまり馴染みの無かった日本人にとって、濃い顔つきでしたたかそうなイラン人がたむろする風景には、かなりの違和感があったと思われます。
不法滞在に加え、偽造テレフォンカードなどの不正販売も目につくようになり、ついには入国に厳しい条件付きのビザが必要になったのです。事実上一般のイラン人が日本に入国することがほぼできなくなってしまったのです。その対抗措置として日本人にもイラン入国に際してビザが必要になったというわけです。

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イスラム教シーア最大の宗教儀礼アシュラ

ここ数年は飛行場でも2週間以内の観光ビザに限りに取得できるようになりましたが、その当時はイラン滞在中の使用ホテルやすべての滞在スケジュールなどを提出しないとビザを発給しないという厳しいものでした。

旅行代理店を通じてイラン滞在中のホテルや行動スケジュールを提出し、その上で高価なビザ(当時で4万円ほど)を取得しました。
ところがどこで間違えたのか、ビザの発給日時が実際のスケジュールより一日短く、トルコに向かう前日がビザなしの空白の一日になってしまっていたのです。
もちろんすぐに旅行代理店に申し立てをしましたが、ビザが下りたのが出発一日前、日本での変更は難しく、テヘランで契約している代理店で変更をしてもらえるという確約を貰っての出発となりました。

今回こそは古い絨毯やアンティークビーズなどを持って帰りたいという思いと、前回の飛行場での経験からイランからの出国に関しては、かなりデリケートになっていました。パスポートコントロールや荷物の検査などが、かなり面倒なことを目の当たりにし、ビザ切れでの出国は大きな面倒を抱えることになるように思えたのです。代理店の言葉を信じての出発でした。

テヘランの巨大な絨毯バザール。

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イランの首都テヘランのバザール

今回はトルコ航空を利用するイスタンブール経由でしたが、テヘランの宿泊先はイスラム革命の際に有名になったアメリカ大使館から程近い、バリアスル通りのホテル「マシャド」という名前でした。憧れのホラサーンの州都マシャドと同じ名前です。
今回のイラン行きの最大の目的でもあるホラサーンへの旅を占うように、そこにはホテルマシャドがありました。
一応三ツ星高級ホテルとうたっていましたが、内装はかなり古く、部屋の窓にはひびが入っていました。テヘランは数年前とほとんど変っておらず、バブル時代の東京とは対照的なさびれた鉄っぽい感じがテヘランの印象です。
着いて直ちに、絨毯バザールへ向かいました。

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海外への輸出を待つ梱包された絨毯群

ここテヘランの絨毯バザールはタブリーズと双璧で、のこの地域でも最大の規模と伝統を持っていると思います。
これまでにテヘランの絨毯バザールには通算で100日以上は通ったと思いますが、今でも半分くらしか見切れていないと思います。
今では地下鉄ですんなりと行く事ができますが、当時は大渋滞の道路事情のなか、何度も何度も乗り合いタクシーを乗り継がないとバザールへたどり着くことはできませんでした。バザールへたどり着くまでにものすごい労力を使いました。
当時は古いものを扱う店多くあり、1日に十数件の店や個人の家を回るので、夕方にはフラフラでした。
このところは多くアンティークラグディーラーが、新しい絨毯(創作のオリジナル)やギャベなどの売り易いものへと品を変え現在では古い絨毯を扱う専門ディーラーは激減し、状況は大きく変わってしまいました。

1週間程テヘランに滞在して、長い長い間憧れていたホラサーンへ向うことになりました。(つづく)

 

参考記事:部族の絨毯との出会い=草原の赤い絨毯 vol.1
部族絨毯との出会い 〜戦火のイランへの旅立ち〜 vol.2 
部族絨毯との出会い 〜イスファハンの絨毯バザール〜 vol.3

執筆者:T.Sakaki