奇跡の発見!パジリク絨毯の謎(第2回)ルーツはトルコorイランそれともシベリア!?

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Goods(モノ) - 部族の手仕事

GWを利用してエルミタージュ博物館に行かれた方から運良く貴重な映像を見せていただく機会がありました。間違いなく現存する世界最古の絨毯であり、いくつかの偶然が重なって奇跡的に発見された門外不出のパジリク絨毯の生写真です。
それもかなりの近さからの写真で、これ迄見ていたベタットした印刷写真とは全く違うパイルの毛足の立ち具合が見える超接写映像でした。
絨毯の命は毛足(パイル)ですが、そのふわっとした立体感と肌理がリアルに伝わってきました。

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パジリク絨毯の外延ボーダー部分

パジリク絨毯については、これまでに多くの研究者がそれぞれの立場から自らがその起源であるという説を主張してきました。
この絨毯が発見されてからというもの、周辺地域民族や国々が我こそがルーツであると言い始めていますが、この発見によって絨毯研究の歴史が大きく変ったことに違いはありません。なかでも文様説・染色説・技法説など違う角度からの主張が述べられ、その裏付けとしての様々な学説が発表されています。
例えばイラン人は文様から「文様起源説」を、トルコ人は技法から「技法起源説」を他にも、トルクメン人の「素材起源説」はたまたユダヤ人の「カバラ数秘起源説」等々です。

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パジリク絨毯を基に書かれた歴史ミステリー小説

パジリクカーペットの起源をめぐる様々な主張

なかでも現在有力と見られている理由を主張ごとに紹介してゆきたいと思います。

1.文様説

パジリク絨毯がイラン起源の可能性が高いとされる、最大の理由は前回紹介したアケメネス朝のペルセポリス遺跡に見られるサカ族(スキタイ)が馬に乗って行列する石のレリーフです。さらなる主張として興味深いのは、もうひとつの目をひく大きな角を持つ動物のモチーフに関してのものです。北ユーラシアに多く生息する、トナカイのようなへら鹿を、かつてイランに生息し絶滅したといわれるファロー鹿(枝が広がった角を持つ)と関連付けています。
これはcyrus palham(サイラスース・パルハム)氏(イラン美術史家)の見解でです。

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右がパジリク絨毯のトナカイ?左がファロー鹿?

1993年に発表されたサイラスース・パルハム氏のファロー鹿説です。 
illustration by tribalrugs (James Opie)
右側がパジリク絨毯に描かれたへら鹿のモチーフ。
左側はイラン西部のルリスターンに残された鹿(ファロー鹿)のモチーフ。
イラン人の絨毯考古学研究者であるパルハム氏はシカモチーフの類似から、絨毯に表現されているトナカイのような動物が北方ユーラシアの大型シカ(トナカイ)という見方に限定されず、古代にイラン周辺にも生息していたヘラ鹿(ファロー鹿)ではないかと言う説を発表しました。他にもこの絨毯の洗練された個々のモチーフや完成度の高い全体の色彩構成力などが、円熟したイラン系民族に美術的表現によるものだと主張しています。
これらは前回紹介した、文様の持つ意味が時代背景との関わりから考察されたと言えるものですが、近年絨毯自体の織りの構造や染料の種類から異なった考察が次々と発表されています。

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イラン南部ペルセポリス遺跡の2500年前のレリーフ

2.染料説

世界的な絨毯研究者で特に草木染研究に造詣の深い、ドイツ人のHarald Bohmer氏とイギリス人でトルクメンなどの部族絨毯に詳しいJon・Thompson氏はこの文様起源説に対し、使用されている染料から異なった起源を提唱しています。この二人の絨毯研究家は最近の絨毯研究に大きな功績を残し、様々な研究書の刊行や大学などでの講義、現地のフィールドワークに加え、相当なコレクションも所有しています。
この二人の着目はパジリク絨毯での染料です。最近の科学分析からこの赤色は『ケルメス』染料(ポーリッシュ・ケルメス)によるものだということになっています。
『ケルメス樫につく虫から取れる染料』

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赤い染料となるケルメス樫の木に巣を作るケルメス虫

また、部族絨毯研究家のB.W.MacDonard氏もこの絨毯のデザインはアケメネス朝の影響を受けたことに疑いはないが、当時中央アジアには高度な絨毯を織る工房があり、この絨毯を彩る紫がかった赤の色が茜ではなく、ケルメス染料によるものであることがその証拠であるとしています。この虫由来の染色は当時栄えていたイラン高原のものでなく、より北方の草原地帯でしか採取できない可能性が高いことを上げています。
また、薄い緑がかった青の色が、インディゴ(藍)でなくアブラナ科の大青(ウォード)ではなかったかと同定されています。この大青の原産地もおそらく気温の低い北方ユーラシア起源ではないかと推測されます。

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イラン各地で採集された天然染料のサンプル

3.技法説

パジリク古墳からは、同時に中国製の絹織物や生き生きとした表現のフェルト製品も数多く出土しています。このフェルトもケルメスで染められたと考えられています。このフェルトに描かれた人物や動物は遊牧系騎馬民族を彷彿とさせるモチーフが多く、北方ユーラシアの影響を強く感じさせます。
絨毯ベルトといわれる、中央ユーラシアの草原地帯(ステップ)は、拠点を移動しながら文明を築いてきた、多部族・多文化・多言語を持つ騎馬民族によって形成されてきたともいえるのではないでしょうか。

ユーラシア大陸は、西方起源の民族による支配と統治が続いていたという史実において、東方の騎馬民族は野蛮で非文明的な「バルバリー」などと蔑まされて来ました。起源前1000年の頃、ちょうどパジリク絨毯の織られた時代から、東方起源のモンゴル系民族が西方への移動が始まった時期と重なるようです。近年、パジリク絨毯が保管されている、エルミタージュ美術館の研究者を中心に絨毯自体の織りの構造や素材の質などから異なった考察が出てきています。
美術館の染織部門のキュレイターであったLudmila Barkova女史は使用された羊毛が、縦糸・緯糸・パイル共にZ撚りの糸を使用していることを理由のひとつに、中央アジアの現トルクメニスタン起源説を提唱しています。

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シベリアから極東アジアで発見されるクルガン(古代墳墓)

発見されたシベリアの遊牧民に織られた可能性はあるのか?

このように多くの研究者によって文様・構造・染料・素材・時代などの角度から分類がなされてきました。
これまでに度々紹介しているジョン・トンプソン氏による生活環境の相違による分類などもあり、パジリク絨毯を想像される織り手の生活環境から照らし合わせてみる事も興味深い試みかもしれません。この地域には、非常に古くからトナカイを飼育してきたといわれる「トゥバ人」といわれるモンゴル系の遊牧民が存在しています。

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パジリク古墳の内部の発掘当時の状況

1921年から23年間だけの独立国であり、モンゴルと南シベリアの間に位置し、まさにパジリクやアルジャンなどの古代クルガン遺跡の真上にあった幻のトゥバ国です。遥か昔から、野生のトナカイを飼いならし、遊牧生活を営んできたであろう人々です。オーストリア人のメンヒェン=ヘルフェンによる奇書「トゥバ紀行」のなかにも、トナカイ飼育の発祥の起源として、パジリク周辺からバイカル湖に連なる、トゥバ人とツングース系の遊牧民が上げられており、西方に広がるチュルク語を話すトルコ系民族と南に位置するチベット系の入り混じった独特な文化が紹介されています。
この中で特に興味深かったのは、遊牧民であるトゥバ人が去勢を知らなかったということです。

現代の科学では、動物の骨からその動物が去勢されていたかどうかが、解るようですが、騎馬民族研究の先駆者の一人、江上波夫氏の騎馬民族の日本の影響について、反論を唱えた学者の意見のひとつが、どうして、日本に去勢の技術が伝わらなかったのかと言うことでした。
まったく農耕と関わりのない純粋なトナカイ家畜民であったトゥバ人が去勢しない事実は、日本に去勢技術がないから、「遊牧系民族が来なかった。」という理由にはならないようです。

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パジリク絨毯に限らずこの地域のクルガン(古墳丘)から出土するフエルトや石彫・金属加工品等の今にも飛び出してきそうなトナカイのモチーフは、去勢を知らない野生の本能をもつ、勢いのある表現に溢れているともいえるかもしれません。

この地域と時代を知る上で欠かせないのは、このあたりがシャーマニズムの中心地ともいえることにも関係が深いと思われます。
シャーマン=サマンという言葉もこの地方のツングース語が語源といわれており、現在でも病気を治したり、問題を解決する占いの儀式には、シャーマンの存在が重要なようです。彼らは動物の霊を憑依させたり、自らの魂を超越させる技術を持つと言われています。言い換えれば我々凡人には見えない動物の内部の流動するエネルギーを感じ、それをリアルに見ることが出来る人々といえるかもしれません。

パジリク絨毯の内側を取り囲むトナカイの印象的な表現から、流動するスピリットを孕んだ霊的エネルギーが込められているように見えてきます。

参考文献 :「騎馬民族国家」 江上 波夫著
      トゥバ紀行  メンヒェン=ヘルフェン著

写真引用:To discober russia

執筆者:T.Sakaki