メソポタミアとも関係のあるクルド族!独立の気運が高まってる!?

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Goods(モノ) - 部族の手仕事

さいたま県の蕨市には多くのトルコ系クルド人の住む地域があり、クルド料理の店やクルド人向けの食材店などがあり、「ワラビスタン」と呼ばれるているようです。
トルコ、イラクそしてイランでは先住民として政治や経済にも大きな影響力を持つ人々です。日本とはあまり関係がなそそうですが、クルディスタンの独立の気運が高まる中、今後は中東だけでなく、世界各地に影響がでてくるかもしれません。

かれこれ25年程ほぼ毎年イランへ仕入れに出かけていますが、必ず立ち寄るのがイラン東北地方ホラサーンの州都マシャドです。ここには近隣のグーチャン村出身の絨毯商も多く、クルド人の友人もたくさん出来ました。
濃くて熱い人々というのが第一印象ですが、知れば知る程、義理人情に厚く、信頼できる人達です。数回続いた、トルコ語系遊牧民の後は、西アジアを代表する先住民であるクルド族を紹介したいと思います。

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ホラサーンクルド族のパイルラグ

遊牧民の元祖クルド族

(主な居住地…トルコ東部〜西イラン〜イラク北東地方)
(主な集積地…ディヤルバクル、セネエ、ビジャー イラン東部グーチャン、マシャド)

西アジア〜中央アジアに暮らす遊牧系の部族の中で極めて古い歴史を持ち、人口も多く、遊牧民らしい生活と精神性を持ち続けて来た人々がクルド族(人)といえるでしょう。

メソポタミア文明を築いた、シュメール人やその後のメディア人とも交流もあったことがギリシア人の歴史家クノッセスの記述にもあるほどで、古くから(B.C.3000年)高い文化を持っていた人々であることが伺いしれます。クルドという名前の由来は諸説あるようですが、その一つはB.C.400年頃にイラク南部のカナアから現在のクルディスタンを抜けて黒海沿岸のトラブゾンへ移動した部族が『Kardkhori』(クルドホリ)と呼ばれていたというもの。もう一つはササン朝ペルシャの創始者アルデシール1世が3世紀の頃に現れた敵対勢力に、『kurdon』(クルドン)という人々が存在していたという話です。いずれにしてもこの地域にトルコ語系部族が訪れる遥か昔の話です。

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Sevruguin’s collection 100年前のクルド族

クルド族については歴史的も地理的にも、オリエントの遊牧民を語るには欠かせない部族です。このところ最も危険な状況にあるイラク北部〜シリア東部〜トルコ東部周辺に、大昔から生活していたのががクルド民族です。彼らはペルシャ語と同じインド=ヨーロッパ語族に似たクルド語を話す人々です。イラン高原を含むイラン西部のクルディスタン地方の面積はおおよそフランスと同じ程度です。

また、少数民族と紹介されることもありますが、人口は2500万〜3000万人とも言われ国家として存在しても決しておかしくはありません。先ほどのワラビスタンのように、世界各地に多くのクルド系の人達がが分散して生活を営んでいますが、クルド人としての国家『クルディスタン』の樹立が古い歴史を持つクルド民族の念願となっています。

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クルディスタン山岳地域 ジャフクルドのバックフェイス

現在でも遊牧を続けるホラサーンクルドの歴史

暫く前にこのブログで、西側のクルディスタンのクルド族の毛織物の紹介をおこないましたので、今回はアフガニスタンに近い東側(ホラサーン地方)のクルド族の歴史や織り物の特徴を紹介します。

15世紀以降にサファビ王朝のイスマイリ王より、それまではトルコ東部のヴァン湖あたりにいたクルド達は、中央アジアのウズベク族やトルクメン族のイランへの侵入を防ぐ警護の任務で、はるかに離れたイラン北東部のホラサーン州に配置されたのがホラサーンクルドの始まりです。

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ホラサーンクルドのアンティークラグ

18世紀の終わりにはウズベクの後を引き継いだテケ族(トルクメン)が、ホラサーンのクルド族のテリトリーに侵入してきました。
1825から1828年の間、クルド人の人口はトルクメンに攻撃によってたいへんな打撃をうけたようです。イギリス人の旅行家J.B.フォスターによれば、彼が最初に訪れた1821年と数年後の二度目訪問の間に、その地域の人口は3000から300に減っていたと報告されています。
トルクメン族はHassan Khan Salor(ハッサン サロール族長) が亡くなるまで、1847年までホラサンーンの北部に攻撃を繰り返しました。この攻撃はクルド族のパワフルなリーダーSamKhan Kurd Zafaranlu(クルド ザファランルー族長)の出現によって数年後に終わりを迎えました。

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200年以上前に移動させられたホラサーン地方のクルド族

その後も度重なるトルクメン族の侵入による戦が続きましたが、クルドの人々は多大な被害や人口を失いながらもその土地を守り続けて来ました。1881年にトルクメン・テケ族がギョクテペにおいてロシア軍との戦闘に破れ、その後の和解の後にイラン各地から様々な部族の移動がありました。かのバルーチ族もこの地に移住し、ホラサーンにおける新しい時代が始まりました。

世界で認められるクルド族の絨毯

すでに3回の増刷がある、イギリス人絨毯研究家のBrian MacDonald氏の『TRIBAL RUGS』に掲載されていた、1873年にホラサーン北部を訪れたV.Baker氏の本『Clouds in the East』に書かれた、クルド絨毯についてのトピックを紹介します。

『私はボジュヌールド(ホラサーンの町)で素晴しい標本とするためのクルドの絨毯を探していた。それは可愛らしく、また安かった。イギリスで知られるペルシャ絨毯より厚く、一般に静かな色彩であった。ホラサーンクルド族のアンティークラグは、鮮やかでクリアーなパレット(全体色)が限定される。それは二つの明暗の赤、(鮮やかな赤茶、茶をおびた紫赤)ライト&ダークブルー、生成りと黒、そして特殊な黄色とグリーン(青と黄色から抽出した)色彩だった。』

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草木染めの黄色が目立つホラサーンクルドの絨毯

またBrian MacDonald氏自身もホラサーンのクルド絨毯の特徴について以下のように語っています。

『私達はE.Polakによる1873年のヴェニス万博のジャーナルによって、ホラサーンが輸出する最高級のIsperek(ひえん草の花弁から抽出した黄色)を報告を知知った。クルディスタンからもたらされたアンティーク絨毯自体はすべてが羊毛の組織からなっていて、さらには粗い結び目、毛足が長く、艶のある天然染料の羊毛など山岳地帯の共通した特徴を持っている。クルド絨毯の全体の色彩は暗めだが、内側に深く染み込んだ色が艶やかで、織の組み合わせが明るくみせている。また、かれらのデザインは力強く、選び抜かれている。私達は今では、クルド族の織り物が18世紀のオリエンタルラグの歴史の中央に、煌めいていたことを知っている。』

18世紀以降高い品質で織られたイランのコテージインダストリー(村の絨毯)の多くは、北西イランや北東イランと区分されてきましたが、それらの絨毯にはクルド族の技術やセンスが強く影響していると思われます。

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鮮やかな色彩のホラサーンクルドの絨毯

ホラサーンクルド族を代表する毛織物

キャメルソフレ

ホラサーンは比較的北に位置すのためラクダ毛が長く伸びるのか、ラクダ毛で織られたソフレに見事なものが多く見られます。特にダイニングソフレと呼ばれる細長いソフレはホラサーンクルドの代表作とも言えるものと思います。
西のクルドと同様の幾何学文様が多く見られますが、染めないラクダの毛、焦茶、生成りなどの天然の素材を生かしたテイストは日本で特に人気があり、和のしつらえににも似合います。ただこの20年間に、遊牧民自体の減少とラクダ毛に変る撥水素材としてビニールが普及すると、ダイニングソフレは減少を続け、最近ではほとんど見られなくなりました。このところ最も見つけにくいトライバルラグといえるかもしれせん。

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ホラサーンクルドを代表するラクダ毛のソフレ

ジャジム

またこの地域のクルド族はジャジムと呼ばれる薄手の織り物を作ります。強く撚ったタテ糸を様々な色に染め、テントベルトのように細幅で長く織ったものを、後で繋ぎ合わせ、幅広の布に加工したものです。このジャジムは軽くてしなやかなために、間仕切り、布団隠し、荷物を積んだ動物のカバーなど、多目的に使われます。厚手のフェルトを縫い合わせて敷物にも使える、便利で優れた毛織物です。どこかが破れても様々な色に染められたの長いタテ糸が残るので、リサイクルも可能なため、穴が空いても大事に保存されています。最近では古い天然染料のジャジム糸を解し、再利用して商業用のキリムやバックなどを作ることも行なわれています。

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幅の狭い織り物を繋いで使うジャジム

ジュワル

ジュワルとは(大型の物入れ袋)で、小麦などの穀物や衣類などを収納するためのものです。移動のときにはそのままロバ等の家畜に積むための袋物ですが、この地域のクルド族には緻密で手の込んだ穀物袋が多く見られます。デザイン、色彩ともに、クルドらしいセンスが感じられますが、特に主食の小麦などの食料を保管するものなので、頑丈で文様も家々の家紋のような凝った柄が織り込まれるようです。表面は全体に幾何学文様が目一杯に織り込まれ、裏面は細かい縞模様に縫い取り織りを組み合わせるのが伝統的です。かつてはグーチャン村やマシャドのバザールで大量に見つけることが出来たルドジュワルもここ10年で減少し、現在ではほとんど見る事が無くなりました。消えつつある、驚く程丁寧な手仕事な遊牧民の手技の一つでしょう。

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小麦などの穀物を保管するジュワル袋

現在も厳しい状況にある、トルコ、シリア、イラク、イランの国境付近のクルディスタン地方で独立の運気が高まっているクルド民族がもし独自の国家を築いた場合、その東側にあるホラサーン地方のクルド族はどのような動きをするのか?
さらに世界各地に拡散しているクルド人達がイスラエルのように自らの国に返ってくるのか?
もしそうなれば、世界に大きな衝撃が起きるかもしれません。これから目が離せない地域、部族と言えるでしょう。

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ホラサーンクルドの見事なスマック織りのバックフェイス

こちらもご覧下さい。遊牧民の元祖クルド族の毛織物 

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ジジム織による塩入れ袋

参考文献:『TRIBAL RUGS』 By Brian MacDonald.
『Clouds in the East』 By V.Baker
引用写真:『SEVRUGUIN’S IRAN』 By Antoin Severguin.

執筆者:T.Sakaki