聖なる絨毯を洗う祭り「ガリシュヤーン」vol1.

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Infomation(コト) - 歴史

これからイランへ旅行を考えているあなたへ、イランの醍醐味が凝縮したイベントの情報です。イランといえばペルシャ絨毯、古い遺跡、伝統的な儀礼、濃くて熱い人々などですが、どれもが含まれるお祭りが存在しています。それは知る人ぞ知る、ガリシュヤーン『聖なる絨毯を洗う祭』です。
毎年イラン月の十月に行なわれ、それが数百年も続いているようですが、初秋の頃ははイラン観光には最も良い季節でもあります。

絨毯の国イランには、絨毯の神様が下りてくる聖なるお祭りの日があることを、十数年前にイラン航空の機内誌で知りました。さすがに絨毯の聖地イランにしかない、濃いお祭りを紹介させていただきます。この記事はイラン航空の機内誌『HOMA』からの引用なでので、読みにくい部分があるかもしれませんが、ご容赦ください。

聖なる絨毯の神様の祀り 

『Holy ghali shuyan In Ardaha」(アルダハルの絨毯洗いの儀礼)

アルダハールもしくはマシシャディ=アルダハールはナラガ州の地方自治区デリジャンに位置します。
アルダハールはキリムの産地として知られるガルムサールの北西に位置し、タイルで有名なカシャンからは西へ49km、シルク絨毯で知られるゴムからは南に42kmに位置しています。水源が四方に広がるアルダハール自治区は大きな谷間と平地の土地で、地下水脈が西北から東南に広がっています。
谷の長さは16キロほど、その幅は4キロほどです。
そこには高低差のある丘があり、四方は山に囲まれています。山の雪解け水を水源とするいくつかの地下水脈が、谷間の平地からさらに低いところへ流れこみ、これがアルダハールの水源となっています。
水の流れは下流でブルク川に流れ込んでいましたが、今日では長引く枯渇により地下水脈と泉は乾いています。
1980年の統計ではアルダハールの人口は3351人でマルカジ地区の1996年の統計では2886人でした。アルダハールは山地のため冬は寒く、夏でも他の地域と比べると比較的涼しい。それゆえにこの地域は、カシャンの人々の夏のリゾート地としてなっています。

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アルダハールのモスク

聖なる場所  The Holy Land 

アルダハールの人々がことのほか尊重されるのは、聖地であるこの聖なる山(清らかで、吉兆とされている)が周りを取り囲んでいるからです。
昔々、それらの聖なる山の頂には、イスラム教の人々が祈りと礼拝の場所として尊重する前から、山岳信仰の礼拝所と、いくつかの拝火教(ゾロアスター教)の寺院がありました。ある人々によっては依然として、アマダハールの山に残っている山の連なりと、山岳礼拝場は『アマダハルもしくはアマダハール』と呼ばれています。その言葉に意味は、『アルド』は『清らかさと聖なるもの』(アルドはアルデシールやアラドバンと同じ意味である。)そして『ハール』 は『ハル』からの派生語で『山』や『山岳』を表します。アルダハールとは『清らか』・『山』の二つの単語から出来ています。

アルダハールの多くの住民は農業に従事するか、庭師(果樹園)で、主な作物は、小麦、カラス麦、夏の収穫物は西瓜と胡瓜です。
果樹園での収穫は、主に涼しい地域でとれる様々な種類の桃、スモモ、アプリコット、クルミ、そしてアーモンドなどです。
アルダハールのもっとも重要な手工芸品は絨毯です。それはとても有名で、イラン人の間では『洗えば洗うほどに美しくなる』と言われています。

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聖なる絨毯

マシャデ=ガリ  Mashad-e-Ghali (絨毯の聖地)

セレモニーの起源は、スルタン・アリ(12世紀以上前にメディナからマシュハド・アルデールに招かれた王)が敵の村で殺害された時代まで、さかのぼることができます。アルダハールは『マシャディ スルタン=アリ』 (スルタンアリの殉教の場所)もしくは『マシャディ=アルダハール』(殉教の地アルダハール)とも呼ばれます。
なぜなら、スルタン・アリはイマーム・モハンマド・バゲールの息子でありその地で殉教したからです。そしてその事件はマシャディ=ガリ『(殉教の絨毯)』とも呼ばれました。

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イマームザデを慕う信者

彼の信仰する者たちが、彼を助けるためには、あまりにも遅く到着したので、彼らは彼の体をカーペットに包み、150メートル離れた川の流れで彼の体を洗った後、彼を埋葬したとされています。そうしてイマーム・ザデの体を包んだ聖なる絨毯と、絨毯を洗う行為は、まさに彼の体を洗う代わりとなったのです。
このためイマーム・ザデの亡骸を包んだ絨は信仰の対象としてこのお祭りの主役となっています。キリストの聖骸布と同様に絨毯自体が信仰を集めているということです。

絨毯を洗う儀式もしくは祭り The Ceremony of Ghali shuyan

<ジョンメ ィ ジャー (金曜の宣言) 人々を招待する日>

お祭りの前には『ジャー』と呼ばれる宣言がありますが、それは、通常秋の日の最初の金曜日、『絨毯を洗う奉りの儀式』の約一週間前に行われます。
『ジャー』(宣言)の儀式はカシャン のフィンという一族により保持されてきました。この『金曜日の宣言』はアルダハールでは絨毯洗いの奉りに人々を、招待する日です。そして毎年10月初旬の第2金曜日に、このイベントがいよいよ始まるのです。
『ジョンメ ィ ジャー』(金曜の宣言)は、イマーム・モハンマド・バゲールの息子スルタン・アリ、それは、アルダハールの記念すべき聖なる殉教の日、重要な前兆『予言』が届く日なのです。

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モスクを取り囲む信者

それはFinの人々が集うために約束された日でもあります。
『ジョンメ ィ ジャー』(金曜の宣言)は毎年ごとのその週がスルタン・アリの廟に巡礼する特別な週が訪れた約束の日であり、彼らが先祖代々伝統的に同じように行なわれてきました。
宣言はハレエ村とカシャンのバザールそしてフィンの地方の呼び出し人によって、特別な物悲しげな声と調子でで叫ばれ、町から町へ知らされ、思い起こさせられて来ました。

ジョンメイェ=ガリシュヤーン(絨毯を洗う金曜日)の知らせは、口から口へ、バザール商人、貿易商、行商人、その他多くの人々の間にあっという間に広がっていきます。数日もしないうちに、その知らせは近郊のほとんどの都市であるナタンズ、コム、マハラト、サヴェ、デリジャン、ヤズド、アシュティアン(Qom,Mahalat,Saveh,Delijan,Yazd,Ashtian)そして、その後イスファハン(Isfahan)などの町にあっという間に知れ渡ります。

熱い男達の祭 The Ceremony of Ghali Shuyan

巡礼者の中には、祭りのために遠く離れた場所からモスクまでの長い道のりを、歩いてくる者もいます。祭りは朝早くから始まりますが、巡礼者の群衆は、その肩に当時と同じ絨毯を担いで行進します。大声で「ヤー!フセイン!!」・「ヤー!フセイン!!」と叫びながら、殉教者と同じ痛みを感じるために自らの胸を強く叩きます。

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聖なる絨毯を支える男達

参加者の男達はその悲しみを象徴的長い杖で絨毯を叩いて見せます。セレモニー全体を通して、部外者はカーペットの残骸に触れることは許されません。
巡礼者は皆黒い服を着て宗教的な歌を歌い、大声で叫び、泣いて胸を打ち(悲しみと嘆きの徴候として)、悲しみを表現します。
そしてクライマックスは、空中で手に持った棒を回転させて、聖地の庭の周りを取り囲み、スルタンを包んだ絨毯を皆で回転させます。   (つづく)

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凄い熱気のモスクの内部

参考サイト写真引用:العربیة فارسی Tasnim News Agency
https://www.tasnimnews.com/en/media/2016/09/30/1200649/carpet-washing-ceremony-in-iran-s-mashhad-e-ardehal
引用写真:The Iran Project http://theiranproject.com/blog/2016/10/01/photos-carpet-washing-ceremony-irans-mashhad-e-ardehal/

執筆者:T.Sakaki