イランの遊牧民三世代の暮らしと変化 〜映画「Grass」とその続編から見えてくるもの〜

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1924年にアメリカで作成されたバフティヤリー族の移動を撮影した「GRASS」という衝撃的なドキュメンタリー映像については、何度かこのブログでも触れてきました。
またその50年後にかなり洗練された映画として「People of the Wind」という続編が制作されています。
ついこの前、フランスで制作されたその続々編と言えるようなドキュメンタリー「イラン天空の教室」が、NHK「世界のドキュメンタリー」で放映されました。

いずれもイラン西部の4000mの峰々がそびえるザグロス山脈を超えて移動するバフティヤリー族の移動を追った映像です。
三部作に共通する「遊牧民の暮らし」と「時代の移り変わり」について、1世紀に近い時間の流れを通して見ることができてとても刺激になりました。
とても一度では紹介できないと思いますが、「遊牧とは何か?」というテーマも含めて考察してみました。

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イランの遊牧民の民族学的な考察とイラン人カメラマン、カスライヤン氏の写真集

人はなぜ旅を好むのか?

この仕事を始めてから遊牧民さながら移動することが増え、秋から冬の展示会シーズンは季節労働者のように日本各地の展示会場を移動しています。
今回のコロナ禍では「移動の自由」が制限されたことで、展示会やイベントなどがほとんどなくなりました。
日々自宅での自粛生活を余儀なくされたわけですが、仕入れ旅を含めた「移動」が、いかに楽しみであったのかを考えさせれれるきっかけともなりました。
自由な外出や海外への旅行に出かけることが出来ずに、退屈な思いをされている方も多いことでしょう。日本へのインバウンドもほとんど消えてしまっているようですが、それ以前は世界全体の旅行者が年々増加していることでもわかるように、現代人は日常の生活から離れた緊張と新しい経験をすることが欠かせない楽しみの一つです。

「移動」とは遊牧民にとっても私達にとっても、人間としての根源的な欲望のひとつかもしれまん。
逆説的ですが犯罪を起こすとその罰として刑務所に入れられ、「移動の自由」を禁止されるのが罪の償いということが実感させられました。
2ヶ月におよぶ自粛生活の中で人にとっての「移動」とは何かを、もう一度考えることにもなりました。

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イランでも最も過酷な移動をするバフティヤリー族

最後の遊牧民

2019年に制作されたバフティヤリー族の移動映像は地域の学校の先生にスポットを当て、遊牧民の家族と共に移動生活をしながら授業を行うというドキュメンタリーでした。定住している村からザグロス山脈の高地にある夏の野営地まで、ほぼ3週間に及ぶの移動の物語でした。
遊牧民にとっての毎年の一大イベントである春の移動は、雪解け水の激流を渡ったり、残雪の残る4000メートルの山越えという過酷な旅で、かつては2ヶ月もかかったそうです。
最初に映画「GRASS」で見た実際の移動の衝撃は、今でも忘れられません。
最新の映像からバフティヤリー族の移動は、1924年の「GRASS」時代、50年後の「People of the Wind」時代、さらに45年後の「イラン天空の教室」でもほぼ同じ時期に、似たようなルートで行われているようでした。

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1924年に撮影された衝撃の映像「GRASS」

1924年は日本では大正13年、関東大震災の翌年にあたります。
この時代の日本がどのような社会生活をしていたのかはあまり想像できませんが、イランのバフティヤリー族の人力と家畜のみによる移動、使われている生活の道具(キリム、絨毯、袋物など)
着ている衣装、食べているモノ(ナンと乳製品)が3代にわたってほぼ同じように見受けられました。

現在の日本では全てが大きく様変わりしています。
ただ彼らの生活も時代の流れで起きた変化があるようです。最新のドキュメンタリーで紹介されてた家族は、残念ながら今年が車に頼らない最後の移動だと言っていました。
イランの遊牧民の中では、ギリギリまで頑張って遊牧生活をしていたのがバフティヤリー族です。
その中でも最後のひと家族の移動風景という、貴重な映像だったのかもしれません。
1970年台の「People of the Wind」では、一部のお金持ちな家族はトレーラーで移動していることが紹介されていました。
その45年後ではこの家族だけが車を使わないで移動をする遊牧民だと繰り返し紹介されていました。
残念ですが「最後の遊牧民」という言葉が心に響きました。そしてそれが現実だと思います。

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1970年代のイランイスラム革命直前に取られた「People of the Wind」

ここ20年ほどの大きな環境の変化によって純粋な遊牧生活は、消え行く方向にあることは実感していました。このところの地球温暖化に伴う乾燥化で、遊牧に適した牧草地の減少が驚くほど進んでいます。
環境を汚染する排気ガスや廃棄物をほとんど出さず、家畜の糞さえも燃料にしてきた遊牧民にとっては皮肉ですが、避けられない現実です。
イラン在住の日本人研究者が、環境に限らず携帯電話の普及も遊牧生活を閉じる大きな要因になっていると嘆いておられました。
そんな現状を見ていると、地下エネルギーで潤う近東の国々の民主化や近代化により加速度的に進むと思われる生活環境の変化が、「コロナ禍」にまで関連しているのではないかと思われます。
情報がほとんど入ってきませんが、純粋な遊牧や牧畜生活を送る民は、アフガニスタンの山岳地帯や僻地の村に存在していることに期待するくらいしかありません。
かつてはアフガニスタンの遊牧民研究者で最近は民芸研究者でもある松井健氏も「いったん進み始めると猛烈な速度で行われる現実の変動に先を越されてしまう前に、今日の遊牧社会とその変容について、具体的で詳しい研究が必要である。」
と述べられいてました。

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NHK 世界のドキュメンタリー「イラン天空の教室」の一場面

自分たちの頭で考えないと生きていけない暮らし

「イラン天空の教室」のなかで最も感動的だったのは、本来は生徒達にに勉強を教えるために行動を共にした先生が、しだい次第に子供達から何かを教わるように変化していくのが感じられたことです。
最初は先生も戸惑っていて、移動の厳しさに根を上げそうになっていました。
ただその辺りは順応性の高いイラン人、ましてやバフティヤリー族の血をひく先生は、後半ではすっかり本物の遊牧民らしい顔つきになっていました。
子供達の何気ない行動や、先生に対するさりげない気遣いも美しかったですが、それを感じて発した先生の言葉が特に印象に残りました。

『遊牧民はどんなに辛くても牧草地に向かうことを諦めません。』
『あらゆることをこなさなければなりません。』
『子供でも精神的にも肉体的にもとても強いのです。』
『問題を解決するときに頼れるのは自分しかいません。』

そして子供達が勉強にも生活にもとても優秀であると繰り返し述べています。そしてその理由を『自然の中で暮らしているからでしょう。』としていました。
また一緒に移動生活した女性達のことについても
『遊牧民の女性は男性ができる仕事を全てこなし、一人の女性で男性10人の価値がある』と絶賛していましたが、一緒に旅した実感がこもった言葉でした。
これも現在の私たちの暮らしにそのまま当てはまりそうな言葉です。
実際に今回のコロナ禍にいち早く対応し、国民に支持を得ていたのは女性がリーダーの国々でした。

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NHK 世界のドキュメンタリー「イラン天空の教室」の一場面

遊牧民に魅せられて

遊牧民の生活は私達日本人にとってはあまり身近ではないでしょう。
四方を海に囲まれ、温暖で四季のある穏やかな自然に恵まれた日本の気候風土とはかけ離れた、乾燥した砂漠に暮らす遊牧民に対しては、ある種の憧れはあっても、家を持たず家畜と共に移動する暮らしは想像すら難しいかもしれません。
一般的に、遊牧民という言葉は「フリーランス」で縛られないイメージを与えてくれる存在でもあるようです。
緑の丘と花の絨毯に囲まれたテントの宿営地といった牧歌的な情景、目を見張るような渓流を巡って行くラクダや驢馬の列、世界でもっとも繊細なラグやキリムを織り出す、色鮮やかに着飾った女性達。
そんなロマンチックなイメージは大都会の無機質なオフィイスビルや通勤の満員電車といったものと好対照の印象を与えているかもしれません。
最近はあまり聞かなくなりましたが「ノマドワーカー」という暮らし方が注目されていたこともありました。

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NHK 世界のドキュメンタリー「イラン天空の教室」の一場面

では実際の遊牧生活はどうなのか?
彼らはつい最近までは電気や電話も無く大自然の中で自給自足に近い生活を送ってきました。
生活の基盤を自然のリズムにゆだね、家畜と共に生きる暮らしです。
暑くなれば山間の涼しい高原地帯に移動し、山に秋の気配を感じる頃には家畜と共に山を下る。
一言で言えば自然のサイクルに抗わずに数千年を生き抜いて来た人達だと言えるでしょう。
近代社会、とくに都会の生活では会社や社会の目に見えないルールに縛られ、息苦しいと感じる人達は増え続けているように思えます。
私達が良く知らずとも遊牧民に憧れを抱くのは、部族の掟や族長への忠誠や従属などの決まりはあるものの、しがらみのない、あるがままの生き方をしているようにイメージされるからかもしれません。
まさに「Peoples of the wind」(風のように生きる人々)です。

遊牧民の暮らし方や彼らの必需品である毛織物から今後の私達の暮らしのヒントになるものが見つかるかもしれません。
次回は遊牧民の暮らしに欠かせない毛織物(トライバルラグ)が、日々の暮らしのどのように役立っているのかを紹介したいと思っています。

「The Sheep Must Live」という映像

余談ですが、今回古い映像を探していて、1974年制作の「People of the Wind」の原盤のような映像を見つけました。
「The Sheep Must Live」というタイトルです。テヘラン生まれというイラン人女性がナレーションで僅かに登場するのですが、ヘジャブなしのスタイルでどきっとしました。
イスラム革命前の映像なのですが、時代を感じます。実際の映画「People of the Wind」ではカットされていました。
画像は悪いのですが、雰囲気は楽しめます。

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映画「The Sheep must live」 のナレーションのイラン人女性(サーシャさん)

写真引用:「The nomadic peoples of Iran」 Jon Thompson,R.tapper, PHOTO by N. Kasraiyan.

参考サイト:ザグロスに暮らす山岳遊牧民、ロル/バフティヤリー族の移動が凄すぎる! by tribe-log.「ノマド=自由」という幻想by tribe-log.

執筆者:T.Sakaki