☀️トルクメンの友人を尋ねてイランの東北へ その1.

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イランの中でもどうしても行きたかった場所の一つがゴンバディ・カヴースです。
その理由は初めてイランに行った1988年3月に遡ります。
以前にこのブログで紹介した「部族絨毯との出会い」と言う記事と重複しますが、若気の至りでイランVSイラク戦争中のイランに初めて仕入れで出かけた時の出会いが、ゴンバディ・カブース行きに深く関係しています。

まずはその出会いについてです。

古都イスファハンで出会ったトルクメンの青年

1988年の3月でした。イラク軍のスカッドミサイル攻撃が激しくなりテヘランがかなり危険な状況になったため、イスファハンへ避難していました。
イランを代表する観光地で、サファビ朝時代の最盛期に都があった古都イスファハン。
かつては「世界の半分」と詩われた美しい町ですが、この時ばかり有名な王(シャー)のモスクにも人影はなく、絨毯、更紗、金属工芸などの工房が並ぶシャーの広場もひっそりとしていました。
観光地としても有名なセオセポル(三十三橋)のたもとにあるチャイハネへむかう途中、すずかけの並木道を歩いている時でした。

前から歩いてくる若者に声をかけられ立ち止まりました。
彼は手にもっていた赤いニンジンをさっと手渡してくれたのです。
イスファハンは美しい街ですが、住んでいる人には注意したほうがいいという噂がありましたので、少し緊張していました。
出会った若い男性にはどこか気を許せるような何かを感じたのです。
その理由は彼の顔が日本人そっくりで、彫の深いアーリア系の顔とは違っていたからかもしれません。
その時は、まるで昔からの友人から貰ったように人参を自然に口に運びました。
そのニンジンはとても甘い味がして、覚えたてのペルシア語で「ホシュマゼ」と答えました。
彼もにっこり笑って今度は、英語でどこからきたのかと聞いてきました。
実際多くのイラン人から「今何故ここにいるのか!?」という質問を受けました。
彼もこんな戦乱の中、明らかに外国人のしかも東洋人がいることが不思議だったことでしょう。ザーヤンデ川の橋のたもとにあるチャイハネに行くところだと云うと、彼も時間があるらしく、同行してくれるというのです。
戦渦でも変わらない川の流れを見ながらチャイを飲み、水パイプを吹かし、どこまで言葉が通じたのかは解りませんが二人はすっかり仲良くなりました。
青年はモタギーという名前のトルクメン族で、イラン東北地方のゴンバデ・カブースという町から、イスファハンにある美術学校へペルシア語の書道(カリグラフィー)を勉強しに来ているということでした。
人参をきっかけに知り合ったトルクメン族の青年には、不安な状況の中で心から親切にしてもらいました。
その後紹介してもらう事になった彼の通う美術学校の友人達には、激しさを増す戦況の最中、古典音楽を聞かせてくれたり、イラン映画を見に連れて行ってくれたり、本当にお世話になりました。

その親切は今でも忘れることはありません。

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1988年イランVSイラク戦争中のイスファハンのバザール

灼熱のマシャドからトルクメンの村へ

いつかまたイランを訪れる機会があれば、彼の故郷であるトルクメン族の多く暮らす東北地方のゴンバディ・カブースへ行きたいと思っていました。
その思いが叶ったのはおよそ10年後の事でした。
戦争も終わり、落ち着きつつあったイランへは毎年仕入れにいくようになっていましたが、交通の便が今一つのトルクメン族の住む地域へいくチャンスはなかなか訪れませんでした。
ある年に思い切っていくことを決めたのですが、それはイランが一年の中でも最も暑くなる7月に訪れた時でした。
メインの仕入れ先であるマシャドから、長距離バスでイラン東北地方の都市ゴルガンを経由して目的地のゴンバディカブースを目指しました。
できれば機上でしか見たことが無かったカスピ海へも行きたいと思っていました。
マシャドからのバスの出発がちょうど正午頃でしたが、例によってバスはなかなか発車せずに、クーラーのない車中でイランの強烈な暑さを思い知ることになりました。
その旅の始まりではテヘランに午後11時に到着したのですが、真夜中で39°Cと言う経験したことがない暑さでした。
冷房の効かないバスで出発を待つ間に、あわや脱水症状になりかかり、出発食前に運転手に掛け合ってペットボトルの水を2本購入してきてなんとかその場を凌ぎました。
おそらく今でいう熱中症の一歩手前でした。
バスは走り出すと外からの熱風と砂埃が容赦無く入って来るのですが、止まっているよりは随分と楽でしたが、ほぼ全身が汗疹になりました。
この時の経験からイランに7月に行くのは止めています。

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古都イスファハンのイマームモスク

真夜中のタクシーの出来事

長距離バスは一昼夜をかけて首都テヘランへ向かいますが、今回の目的地はイラン北部の中都市ゴルガンです。
そこからバスに乗り継いでゴンバディ・カブースを目指すのですが、ゴルガンについたのは夜中の12時でした。
初めて降り立つバスターミナルで暑と長時間のバス移動で消耗した身体でボーッとしていると、大柄で強面のタクシーの運転手が近づいてきました。
この時はガイドブックでホテルは予め調べていたので、とにかくそこで休みたかったのですが、運転手は全く英語を理解せず、ガラガラの大声でなにかを伝えてきます。
なんとかホテル名を理解してもらいましたが、乗り込むなりずーと大声で話しかけてきます。
この時はほぼペルシャ語を理解できず、全く意味が解りませんでした。
ただ「ヤードガリー」と言う単語を繰り返し繰り返し言うのです。何度も言うのでそのうち覚えてしまったのですが、その時はチンプンカンプンでした。
しばらく車を走らせてから、真夜中にたまたま開いていたキヨスクのような売店の前に停車して何かを買ってきました。買ってきた物はボールペンでした。
そのボールペンをこちらに手渡しさっきから言っている「ヤードガリー」を繰り返します。こちらは意味がわからず唖然とするばかりでした。
運転しながらその度に後ろを振り向くので、気が気でありませんでした。ホテルの前に着くとまたもボールペンを手に、お釣りの紙幣に何かを書けと言うような素振りをしながら「ヤードガリー」を繰り返しました。
こちらもなんとなく理解してその紙幣にボールペンで「日本」と漢字で書きましたが、あまりにも強引な感じで、実は少し恐ろしくもありました。

繰り返す「ヤードガリー」の意味とは

テヘランに戻って友人に「ヤードガリー」の言葉の意味を聞くと、記念とか記念品という意味があるとのことでした。
タクシーの運転手はこちらが日本人だとなんとなくわかったようで、日本人に会った事の記念として何か「サイン」が欲しかったことを後から理解しました。
先のイランVSイラク戦争の間、NHKの朝ドラマ「おしん」がイランで大流行でした。
そしてどんな田舎の人達も必ず知っている「おしん」の舞台である日本から来た日本人と会うことがとても嬉しく、記念になるとも後で友人から聞きました。
その時ばかりは、もっとペルシャ語を勉強しておけば良かったとつくづく思い、それをきっかけに少しづつ勉強をはじめました。今では全く忘れていますが。。。
一見怖そうだったドライバーも実は悪気のかけらも無く、純粋に日本人に出会った事の記念として何かを残したかっただけということをその時に知りました。

途中が長くなり「ゴンバデ・カブース」になかなか辿り着けませんが、次回は憧れのトルクメンの村とカスピ海で偶然に出会った「トルクメンの合同結婚式」について紹介したいと思います。

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カスピ海の合同結婚式で海へ船出するトルクメン族

参考サイト:部族の絨毯との出会い〜草原の赤い絨毯〜 vol.1
     部族絨毯との出会い〜戦火のイランへの旅立ち〜 vol.2

執筆者:T.Sakaki