🚢カスピ海の合同結婚式 バンダルトルキャマン(トルクメンの港)2

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(前回のトルクメンの友人を尋ねてイランの東北へ vol1.の続きです。)
翌日は憧れのゴンバディ・カブースを目指そうと思っていました。

突然のカスピ海行き

真夜中に着いたので寝床についたのは遅かったのですが、疲れ過ぎていたのかあまり眠れないまま朝を迎えました。
ゴルガンは初めて来た街でしたが、とにかくゴンバディ・カブースを目指そうと、朝の8時にはミニバスのターミナに着いていました。
バスターミナルは今まで訪れた他のイランの町とは少し違う雰囲気でした。
我々日本人に近い平たい顔つきのトルクメン人の姿が多く、なんだか気持ちが和むのを感じました。
初めてのターミナルで様子がわからず乗り場をウロウロしていると、ちょうど満員に近いバスというよりはワンボックスワゴンが目の前に止まっていました。
中にはいかにもトルクメンという風貌の独特の帽子を被った男達と、鮮やかな花柄のショールを被った女性達の合わせて15人位がすでに乗っていました。
運転手が「バンダル!バンダル!」とだみ声で客引きしていました。

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ゴンバディ・カブースの巨大な塔

大勢の移動者が行き交うテヘランのバスターミナルでは、「イスファハン!・イスファハン!・イスファハン!」とかそれぞれの行き先を大声で叫びながら客引きをする車掌の声が、アメ横で海鮮物を売る「呼び込」にそっくりです。
独特の韻楊のだみ声が遠くまで響いているのですが、その声が好きで不思議と旅にきていることが実感できます。

この時もついついその「呼び声」に引かれて、バスの運転手に行き先を確認すると、カスピ海沿岸町「バンダルトルキャマン」行きだというのでです。
今回の旅の目的地はゴンバディ・カブースでしたが、できればカスピ海へも行ってみたかったのです。
潮風を浴びて錆び付いたワンボックスはほぼ満員でしたが、なんとなく勢いで乗ってしまったのです。この時は何も考えていなかったのですが、これがこの後の驚きの出会いに繋がりました。

発車ギリギリで年配の雰囲気のあるお爺さんが乗り込んで来てギュウギュウの満員となり、こちらはどこかに積んであった丸くて小さな桶のような椅子に腰掛けたとたん、バスは出発しました。
乗っていた乗客はほぼ全員がトルクメン族だったと思います。
バスの中を見回すと男性は、刺繍の帽子被りその上にターバンを巻いています。女性は大胆なロシア風の花柄の目立つショールを被っていて、トルクメン族らしい風貌に興奮しました。
イランではクルディスタンやバフティヤリー族の居住地域を除いて民族衣装を見る事はほとんどありません。
それは1930年代に欧米化を推奨した当時の王様が民族衣装を禁じたことに由来して居るようですが、なんとも残念な話です。
そのおよそ40年後には、イランイスラム革命によって欧米とは真逆の体制となって、女性は外でヘジャブを被る事が義務になっていることは周知の事実ですが、それがなんとも皮肉です。

トルクメンの港(バンダルトルクキャマン)

乗員のほぼ全員がトルクメン族のワンボックスは、間も無くカスピ海沿岸の町バンダルトルキャマンに到着しました。車中の乗客はほぼ皆が知り合いのようでした。
イランの他の地域であればまず好奇心の強い若者が「どこから来た?」・「中国人か?韓国人か?」とか話しかけて来るのですが、その時は誰も話しかけて来ませんでした。
他のイラン人とはどこか違う、日本人にも近い奥ゆかしさを感じました。

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秋田に住む従兄弟の若い時ににそっくりなトルクメンの若者

バス停を降りると皆なそれぞれがバラバラにどこかへ消えて、一人取り残された感じでした。
バスを降りると直ぐにカスピ海が見えると期待していたのですが、普通の町の風景で少し拍子抜けしました。
町には人影も少なく、どっちへ行けば海かも分からずしばし呆然としていましたが、少し歩くと自転車に乗った少年に出会いました。
その少年をみたとたん、秋田の親戚の従兄弟にあまりにそっくりで、思わず日本語で話しかけそうでした。
片言のペルシャ語で「ダルヤー_コジャスト=海はどこ?」と聞くと歩いては行けない距離で、タクシーで行った方が良いと言われました。
そこにタクシーが居るとは思えませんでしたが、彼らも協力してくれてなんとかタクシーが見つかり、やっとカスピ海へ到着する事ができました。

桟橋に集まる大勢の人々

タクシーでカスピ海の船着場のある桟橋へ到着しましたが、そこには驚く程の人が集まっていました。
運転手さんも嬉しそうに笑いながら「アルシー。アルシー。」と教えてくれました。
マシャドで世話になった知り合いの娘さんがアルシー(結婚式)の衣装の仕事をしていたので、たまたまアルシー(結婚)という言葉を知っていました。
降りた途端に人の洪水で驚きましたが、町に住んでいる人が全員集まっているのではないかという程の人だかりでした。
目を凝らすと色とりどりの民族衣装を着たトルクメン族による結婚式という事がわかって来ました。
一組の結婚式の出会うのもラッキーですが、数え切れない程のカップルが続々と派手派手にデコった車に乗ってやって来ます。これは「合同結婚式だ!」と気がつきました。
カスピ海に突き出た桟橋や船着場の周りは着飾った人達でごった返していました。
こちらももう大興奮でカメラのシャッターを切りまくりましたが、興奮して手が震え、結局良い写真はあまり取れませんでした。

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カスピ海の桟橋に群がる結婚式に集まったトルクメン族

部族ごとに色の違うショールを被るトルクメン女性達

少し落ちつて見ていると、特に女性の身につけているショール(ヒジャブ)や衣装が、それぞれのグループ間で微妙な違いがある事がわかって来ました。
あるグループは赤いヒジャブに赤い衣装、あるグループは黒がベースのヒジャブです。
結婚式らしい白系のヒジャブも見られましたが、どの花嫁も美人ばかりで見惚れてしまいました。
まずは新郎新婦が乗った船(漁船のようなボート)が最初に船着場から出港します。
その後に親戚か友達か、周りい居た特に女性達が大はしゃぎで二人を囃し立てながら船で後に続きます。
その後もそれぞれに同じ色の衣装を身につけたグループも大騒ぎしながら漁船に乗り込み、続々と船出していきます。
次々に色違いのグループ(支族?)が新郎新婦を先頭に船に乗り込んでいきます。それぞれが同じように、親戚、友人グループと続き、次から次へと船出していきます。

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桟橋に集まっていたたくさんのトルクメン族

港に着いたのが何時だったのかも覚えて居ませんが、合同結婚式は延々と続きました。しばらくすると桟橋に居た人たちもまばらになり、ついに最後の新郎新婦が船出していきました。
そして誰も居なくなりました。

さっきまでの興奮と人だかりがまるで嘘のように静まりかえって、穏やかな波の音と海から吹いてくる心地よい風に、やっと我に返りました。
今でもその光景は現実だったのか、「夢」だったのか信じられませんが、幸いに写真が残されて居ます。
しばらくはその場を離れ難く、カスピ海の波打ち際に建てられたチャイハネで呆然としていました。

花嫁は船に乗ってカスピ海へ船出する

その時の場面をもう一度整理すると、合同結婚式に参加していたのはほぼトルクメン族でした。また衣装やヘジャブの色が違うのでそれぞれのグループ(支族=サブトライブ)に別れていたがわかりました。
まずは新郎新婦が船出して、その後を追うように親戚や友人達が大騒ぎしながら後を追いかける。
テヘランに戻ってイラン人の友人に興奮してその話をしましたが、そんな話は聞いた事がないと言われました。

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赤いヘジャブ(ショール)に刺繍入りの赤い衣装の部族

それまでに知っていたトルクメン族の伝統的な結婚式とは、花嫁はラクダに乗って嫁ぐという話で、その際にたくさんの嫁入り道具である絨毯、民族衣装、刺繍布などを周りに見せびらかしながら行進する伝統です。
まさかその有名な結婚式に出会えるとは思いもしませんでしたが、カスピ海沿岸に住むトルクメン達の多くはチョウザメなどの漁師ということは聞いていました。
ただ船に乗って嫁ぐことは全く予想していませんでした。

船出して行った結婚式の御一同様がいつか帰って来るかと思いつつ、しばらく待っていたのですが一向にその様子はありませんでした。
気がつくと午後も2時を過ぎていていました。どこからともなく少し年配の欧米人のカップルがチャイハネへ入って来ました。
彼らはこちらとは逆にテヘランから旅して来たようで、これから東のマシャド方面へ向かうということでした。
話していると女性はトルクメン族の伝統的な手仕事の一つでもある金属ジュエリーを集めているようでしたので、マシャドにある知人の店を教えました。

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次々とカスピ海へ船出していく結婚式に集まったトルクメン族

たった今し方ここで合同結婚式があったと話すと、とても残念がっていました。冷静に考えるとわずか一瞬の出来事だったのかと思えました。
全く計画もしていなかったトルクメンの港でしたが、偶然朝のワゴンに乗っていなかったら出会えなかったと思います。
このような偶然があるから「旅」はやめられません!

次はいよいよゴンバディ・カブースに辿りつけるでしょうか?

前回のお話し ☀️トルクメンの友人を尋ねてイランの東北へ その1.

執筆者:T.Sakaki