民芸「The Mingei」の復活!(用の美と美の用関係とは)

Posted by tribe on 2014年10月21日

みなさんは柳宗悦をご存知でしょうか?
陶芸や民芸をかじったことのある方なら誰でもご存知かと思いますが、今回は柳宗悦が提唱した「用の美」から見たトライバルグッズ(部族の手仕事)のことを書いてみたいと思います。

柳宗悦は1920〜30年代にそれまで「下手物(げてもの)」と呼ばれていた、伝統品や日用品などに眠る芸術性ー暮らしの美をもつものを指して「民藝(民芸:ミンゲイ)」という言葉を提唱し、「民芸運動」を起こした大変有名な人物です。柳宗悦の起こした民芸運動は「用の美」という美しいフレーズと共に日本全国に広まりました。
しかし激動の昭和を経て、高度経済成長時代を迎えると『民芸』という動きは大量生産~大量消費という流れから取り残されてしまったのか、ひっそりと陰に隠れたかのように、世間の話題にも登らなくなってしまいます。

21世紀を迎え、とくにこのところ「民芸」は以前とは違った側面で再び注目を集めるようになってきました。無銘の工芸家や職人が手がけた民芸品の持つ素朴さや地域独特の味わいに安らぎを見出している若い世代の人々が増えているようなのです。
若い人たちなら誰でも知っているセレクトショップの「BEAMS(ビームス)」が2009年ごろから民芸品を今の暮らしに取り入れたスタイルに着目し、「fennica(フェニカ)」(リニューアルサイトはこちら)という衣食住の生活を提案するショップの中で「民芸と北欧家具」という親和性を持った新しいジャンルを打ち出しました。
これが昨今のめまぐるしい生活リズムに疲れた若い人たちには絶妙なタイミングとウケだったようで、火がついたように広まったのです。
最近では有名な渋谷のヒカリエにも、手仕事や民芸品を扱う専門ショップが出ている程です。

そうして新たな世代の消費意識のもと民芸(「Mingei」)はこれまでとは違った共感を生みつつ、大都市のデパートなどでも大掛かりなイベントを行うなどちょっとしたブームを迎えつつあるようです。
この現象の裏には日本人の感性に刻まれた『モノとの対話』という精神が、民芸運動の中心的な思想でもある「用の美」として現代にも受け継がれているといった点もあるからなのかもしれません。

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盛況だった日本橋高島屋民芸展

「用の美」から「美の用」へ

部族の手仕事には「用を超えた美」をあちこちに見ることができます。使うことよりも、美しさを優先して作られたのではないかと思える装飾が施されていることも少なくありません。
「トライバルアクセサリー」として知られる、装飾的な布、キリム、絨毯、装飾品にはこれでもかという程の色彩、モチーフが取り込まれているんですね。
時には”・・・使いづらいだろうなあ”と思われる装飾もありますが、その飾りは部族の人々にとってなくてはならないものだと思うこともしばしばあるものです。
例えばアフガニスタン北西部に古くから暮らしているタイマニ族の袋やクッションには、正面から持ったときに見える下の方、つまり地面に向かって大きくフリンジ(マフラーやストールなどにも多く見られる、この部分ですね)が取り付けられているものが多く見られます。これは普段使う際には取り回しに引っかかってしまったり、取れてしまったりすることもあったでしょう。極端に言えば生活の中で用途を満たすためだけに限定してみると、フリンジ部分は不要とも言えます。
しかしこのフリンジは、大切な財産や物品を入れるモノだったからこそ付けていた、部族にまつわる愛着や誇りの象徴でもありました。
これらは、機能性・効率・利便性をぎりぎりまで追求する現代社会とは対極の発想から生まれたモノと言えるのかもしれません。膨大なマニュアルやコンテンツが溢れ、ユーザーのためになる情報こそが抽出される現代社会では、ややもすれば無駄な飾りに映ってしまうことでしょう。

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タイマニ族の袋&クッション

ところが、数千年に及ぶ人類史のなかでは様々な装飾品が存在してきました。
古代文明の遺跡やお墓の発掘からは、多くの装飾品が発見されています。この無駄とも思えるアクセサリー=装飾こそが部族社会では最も大切なものとして受け継がれてきたのです。それは人間の精神の中には、「美しさ」がなくてはならない、根源的に大切な要素だからだとも言えるのではないでしょうか。

動物に対する愛情をカタチに!

例えば遊牧民達は家畜のために様々なアクセサリーを作ることが知られています。
自分たちのためではなく、人の役に立つ動物達のための首飾り、頭飾り、背当てなど、人の使うモノより手の込んだ毛織物がたくさん存在しています。
家畜となる羊、馬、ラクダ、山羊などがその「美」を理解できるかどうかは何とも言えませんが、手間をかけた手仕事の温もりは「愛情」としてそれぞれの動物たちにもきっと伝わったことでしょう。
ドイツのコレクターの中には、なんと主に馬の背にかけられる『背飾り」を収集している方もいるほどで、世界的にもそこまで認められるほどの素晴らしいハンドクラフトとして認められているのです。
他にも、世界各地から集められた『背飾り」はトライバルアクセサリーを代表するアイテムとして大変有名です。中には日本の胴がけと呼ばれる筒書きのコレクションも含まれています。

背当てはお祭りや結婚式などのハレの日に飾られるものもありますが、それだけでない目的もあるようです。背当ては馬のものが中心で、長い距離を移動した後や過酷な労働の後など、馬は背中と鞍の間に汗をかきます。鞍を外してそのまままにしていると背中が冷えて風邪をひいてしまうので、鞍を外した直後に背中が冷えないように背当てをかけてあげるのです。
その文様や色彩はとびきりに華やかで美しいものが多く、普段世話になる動物への思いをこめて丹念に織り上げられます。

もちろん柳宗悦もそうしたトライバルアクセサリーやトライバルラグのもつ魅力にいち早く気づき、価値のある手仕事として自身のコレクションに加えていっています。
部族というコミュニティで暮らす人々が編んできた「用を越えた美」もやはり「暮らしの美」として考えた場合、沈まずに強く光る恒星のように輝いていたのでしょう。

柳宗悦とトライバルラグ

人とモノの関係とは?

人間と動物の信頼関係を感じさせるようなトライバルアクセサリー。私たちも常に使う道具(携帯電話)などにデコレーションしたり防護用のケースを付けたりしますが、それに似ているかもしれません。モノと人の優しく、温かい関係がそこにはあると言えるでしょう。

このところは情報量が増えて行くなかで、「モノ離れ」という言葉を良く耳にします。
同時に「断捨離」などという流行語も生まれ、多くのモノを所有する事へのマイナスイメージが広がっているような風潮さえ生まれています。それは、大量消費社会で手にした無駄なものと必要不可欠なモノを選別する良いきっかけとなること成ることでしょう。
そんな時に、我々も柳宗悦たち先人がまとっていたような審美眼とセンスをしっかり身につけていきたいものです。

「美の用」とは私たち人が、モノへ対する思い入れのひとつと言い換えられるかもしれません。