テキスタイルの色について考える – 「人生を色にかける人々」
Posted by tribe on 2015年2月4日
時々お客様から『この絨毯は本当に「天然染料」ですか?』という問いかけがあります。確かにネットの通販などでも天然の染料で染めらたものであることを強調しているサイトなどを見かけますよね。ただそれが本当に天然染料なのかどうかは疑問が残る場合があります。
ラグ・キリム・テキスタイルを見分ける上で、最も難しいのが染料に関する分析だと思います。日本でも「草木染め」という言葉がありますが、これは高崎で天然染料一筋に3代続く山崎家により広められた言葉です。
私たちが日本史で学ぶ冠位十二階は色によって階級を決める制度ですが、『色』はかなり昔から社会や生活の中で重要な位置をしめていたと思われます。
キリムや布は色彩の美しさが大きな魅力のひとつですが、今回は天然染料に魅せられた人達のお話です。
人生を色にかける人 Life is color
数年前にイラン映画で『GABBEH ギャッベ』というカシュガイ族の女性と絨毯が主役の映画がありました。映画の内容はカシュガイ族の族長の娘が他部族との結婚を反対され、駆け落ちするのですが、そこに至るまでの思いを絨毯に織り込むというストーリーです。
その絨毯に現れた文様は彼女の人生そのものであり、その人の内面が色や文様で表現するというのが映画の主題です。最後は好きな男性と駆け落ちし、親父がそれを銃をもって追いかけるという西アジアでは古典ともいえる悲恋の物語ですが、そこに登場する中年のおじさんが今回の話の主役です。学校の先生役で登場するのですが、準主役ともいえる、そのおじさんはアッバス・サイヤヒーさんという世界的に知られた絨毯の染色家です。サイヤヒー氏が生徒達に黒板の前で色について教えている場面があります。
そこで彼は“Life is color”と語ります。この言葉には不思議な説得力があり、映画自体よりもサイヤヒー先生の言葉がしっかりと記憶に残りました。映画を観た時は、その人は当然映画の俳優さんで、本当は絨毯の染め師であるとは知りませんでした・・・。
数年後、なんとテヘランの絨毯展示会で彼と偶然に会うことがありました。年に一度テヘランで開催されるの大規模な絨毯展で草木染のブースを出展していたのです。人の出会いと別れは不思議なものです。イランでは偶然と必然という事象がリンクし合う事が多いです。
ペルシア語では天然染料を『ランゲ・ギアヒー』と言いますが、ラングは「色」、ギアヒーは「植物」というような意味です。ここでも100%天然染料として紹介されています。映画と同じく人生を色にかけた人なのでしょう。美しい色が並んでいました。
ここでは天然染料を使いやすいようにパウダー状にして紹介するかたわら、同時に販売もしていました。
次回からそれぞれの色がどんな原料から合成されるのかを、具体的に紹介していきたいと考えています。例えば、茜(ロナス)=赤、ザクロ(アナール)=黄色、緑色のものは、胡桃の果肉(ギャルドゥ)=茶~黒など等・・・です。
この展示会が行われたのは2003年ですが、このころからイランでも草木染に対する関心が高まっていった時代です。その翌年の大絨毯展では、草木染を紹介するイベント&ワークショップが野外の広々とした会場で行われました。
現代イランの絨毯やキリムの草木染事情
テヘランでは毎年8月下旬(最近は9月下旬)に市内北部のコンベンションセンターで大掛かりな絨毯展示会が行われます。ペルシア語で展示会をナマイシカーと呼びますが、このナマイシカーファルシュ(大絨毯展)にはイラン各地から有名で力のある絨毯商達が集まります。
8年ほど前になりますが、テヘラン絨毯展にて草木染に関するワークショップやと実演展示が行われていました。現在イランにおける草木染め研究の第一人者であるアッバス・サイヤヒー氏と彼の弟さんが責任者として、羊毛を様々な染料を違った媒染剤(明礬・アルミ・鉄錫など)を使うと、染め上がりにどのような変化があるのかを試しすという実験的展示でした。
媒染剤となる金属の違いで目に見える色には驚くほどの変化が見て取れます。展示会場ではアッバス兄弟による実演も行われたていましたが、さらに興味のある人には解説書付きで色の変化などをレクチャーしてもらえるという、信じられないほど丁寧なものでした。
絨毯関係者はもちろん、染織関係者にはとても贅沢な展示内容でした。
残念だったのはブースにはほとんど人がいなかったため、せっかくの実験や研究なのにもったいない気がしました。これは外国人向けにはとても良い内容なのですが、極めて外国人が少なかったイランではしょうがないのかもしれませんが・・・。
秘伝の草木染の公開とは
ただし、このようなイベントはこれまでのイランの常識では考えられない画期的なことです。本来染め屋さんの技術というものは門外不出の秘密であり、日本においても染料とその原料の由来は、門外不出の秘伝として守られるという習慣があったと聞いています。
日本では先に紹介した山崎一家がこの因習を打ち壊し、秘伝の技術を公開し、だれでもがレシピを見ながらそれなりに草木から色を抽出する、天然染織という技術を広めたのです。
「草木染め」という言葉を日本で定着させたのも山崎ファミリーによるものと言われています。