湿原に生まれた布 〜マーシュアラブの失われた刺繍2.〜
Posted by tribe on 2015年3月7日
このところ揺れ動くアラブ地域ですが、かつては美しい手仕事が存在していた地域でもあります。現在激しい戦闘地域になっているイラク北部のモスルという町は6世紀のローマで「織られた風」と呼ばれた、極薄で透き通るような幻の布(モスリン)の語源とも言われています。
世界最古の文明の地は現在は残念なながら暴力と破壊の波にさらされているようです。
今月号のCasa BRUTASの特集ページで紹介されていたマーシュアラブの刺繍布についてもう少し掘り下げてみたいと思っています。実は初めてこの布を見たのは渋谷の松濤美術館で1985年に開催された「中近東の染織展」〜松島きよえコレクション〜です。それから30年間にわたって魅せられ続けている手仕事です。分析やうんちく抜きに誰でもが楽しくなる世界を持っている手仕事だと感じています。タイミングよく2015年4月5日まで東京博物館アジアギャラリー東洋館13室にて西アジア遊牧民の染織展〜松島きよえコレクション〜が開催いされそこでマーシュアラブ刺繍布が展示されています。
マーシュアラブとは
「マーシュ」は湿原を「アラブ」はその名の通りアラブ系の人々を意味します。
世界でも最も古い文明のひとつであるメソポタミア文明の中心地であった、チグリス川とユーフラテス川の交わる地域は、世界有数の豊かな生態系を持つ湿原として知られています。冬の雨季と夏の乾季とでは降水量と気温差がたいへんに激しく、冬の長雨とトルコ東部の雪山(アララト山周辺)を水源とするチグリス川の雪解け水が重なる事で、激しい洪水を起こす事でも知られています。水源に育つ葦をたくみに利用して、葦の家と葦船を作り浮島を自由に移動しながら、漁業や水牛を家畜として生活を送ってきた人達です。
1970年台に故サダム・フセインの政策で上流のダム建設で、水源が枯れ、湿原が喪失しマーシュアラブの生態系は失われました。残念ながらその後イランVSイラク戦争・湾岸戦争・アメリカによるイラク戦争と続く戦争や混乱の影響で彼らの還る場所は無いと思われます。
メソポタミア文明の芸術性が生きる刺繍布
マーシュアラブ(メイダン族)の女性達は婚礼用に華やかで、可愛らしいモチーフに彩られた布を刺繍します。夏場の乾季に育つ牧草を目当てに訪れる、アラブ系のベトウィン族から入手して羊毛を紡ぎ、染めて下地の生地を織り、その上にカラフルな色糸で独特の文様を刺してゆきます。かつてはチェーンステッチが施されていましたが、最近30年前頃は鈎針を使ったフックワーク技法に変化したようです。下地となる布の多くは、赤、臙脂、オレンジなどの赤系ですが、ごく稀に濃紺な黒系などが使われますが、雰囲気ががらりと変ります。
特徴は文様のカラフルな色彩と伝統的な幾何学文様に、動物や鳥、魚、モスク、人などの写実的なモチーフを組み合わせる自由さと、おおらかさです。
メソポタミア文明主要都市、ウルやラガシュ遺跡の近隣に位置し5000年前の遺跡も数多く出土する地域ですが、世界各地の博物館に保管される遺跡にもマーシュアラブの人達の葦の家や葦船が表現されていることから、数千年前からこの地域で生活していた事が伺いしれます。
その長い歴史と過酷な環境で生きるための知恵が自然に溶け込んだような、刺繍ならではの曲線と羊毛の明るい色彩が他にはない魅力をかもし出しています。文様にはカラフルで明るい動物・鳥・魚などの写実的なモチーフのグループと幾何学的なモチーフを表現する人達に分かれるようです。今後はそのあたりの分類(マーシュアラブの特徴)にもトライしてゆきたいと思っています。
考古学者のご主人と一緒に旅して、この布に出会ったというアガサ・クリスティがコレクションしていた事でも良く知られています。
*未確認ですが、最近新しいイラク政府によってサダムフセインのダムは壊され、湿原が戻りつつあるようです。