素材について考える。〜ウールのドメスティケーション〜 vol.3

Posted by tribe on 2015年5月15日

布団・枕・衣類など、現代生活に欠かせない「繊維」とその素材について前回前々回の続きのお話ですが、素材は手仕事のもっとも基礎となるので繰り返して紹介してゆきたいと思います。

もし日常生活に繊維が存在しなかったら、私たちの暮らしは成り立たないかもしれません。繊維のなかでも人間にとってとてもありがたい素材のひとつである「羊毛=ウール」について、もう少し掘り下げて知りたいと思うのですが、日本語で読める資料や文献と出会う事ができずにいました。「羊毛物語」山根章弘著「羊蹄記」大内輝雄著など日本羊毛協会=ウールマークなど羊毛の専門家と思われる人達による研究も、ほとんどがイギリスからオーストライア〜ニュージーランドへと繋がる比較的新しく家畜化されたヒツジに関するのもばかりでした。

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イラン東北地方 ホラサーン州のヒツジ&ヤギ

これまでに紹介してきた遊牧民の毛織物に使われている、腰が強くパリットした毛足を持つ羊毛は、いつ頃、何処で、誰が、どのように加工して来たかを知りたいと願っていました。
今回ご紹介する論文「羊毛のドメスティケーション」〜ウールの発達と紡錘車〜須藤寛史著は知りたいと願っていた7000年~5000年前にさかのぼる西アジア(イラン)におけるヒツジの家畜化とそれにともなう羊毛の実用化についての願ってもないテキストです。

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羊毛の構成 短い方の毛が下毛(フリース)

毛糸にされる羊毛と毛糸にならない羊毛

私たちが想像する羊毛とはふわふわで柔らかいという印象が強いと思います。
この羊毛は本来、ヒツジやヤギなどの表面の下に隠された柔く細い特殊な下毛(フリース)のことのようです。
家畜化される前の野生のヒツジは太さや柔軟性が異なる3種類の繊維で構成されていて、一番外側の表面にはケンプと呼ばれる枯死した紡績や染色には適さない毛で覆われています。細く、柔らかく、伸び縮みする特性を持ち、表面が鱗のように毛羽立っている(キューティクル)いわゆるウール(羊毛)はその下毛として内側に生えていたものらしいのです。羊毛に詳しい方には常識なのかもしれませんが、初めて聞いた時は目からウロコでした。私たちが良く知るフワフワでふんわりとした感じの羊毛は、衣類などの繊維やフェルトなどに加工しやすいように、かなり後から品種改良されたヒツジ達のフリースのことなのです。

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家畜化されたヒツジと遊牧民

ウールのドメスティケーション

ヒツジやヤギが家畜化されたのは紀元前7000年頃と言われています。
初期の家畜化の目的は食肉としての資源を安定化することにあったようですが、前5000年頃からは毛やミルクあるいは使役などの副産物を目的にするドメスティケーション(家畜化)が進んだことが、最近の目覚ましい考古学研究の成果でわかりはじめているようです。
その例のひとつとして前6000年頃のトルコの遺跡から、器の壁に多数の穴が空いている土器が発掘され、それがチーズを製造する過程で水分を分離させるために使われた容器ではないかと注目されているようです。
毛の利用についても同様で、動物考古学によるヒツジなどの骨の分析から前5000年くらいから食肉以外のドメスティケーションが始まったのではないかという考え方が出てきているようです。その理由は食肉に利用される場合、肉の柔らかい若いヒツジ(ラム肉)が好まれるので、若いヒツジの骨が多く出土するのですが、羊毛やミルク目的の場合、子を持つメスや去勢されたオスのヒツジの骨がバランス良く見つかっていることに由来するようです。
去勢されたオスヒツジからは良質の羊毛が得られる事を現地の遊牧民から聞いていました。

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遊牧民は様々な色のヒツジを家畜化する ホラサーンイラン

どうして良質な羊毛であるウール(下毛)を発見できたのか?

ヒツジやヤギの家畜化がはじまってからどうしてケンプ(死毛)の下に隠された繊維原料として利便性の高いウール(フリース)の存在を知り得たのでしょうか?
現在オーストラリアなどで繊維用に改良されたメリノヒツジ等に代表される柔らかい毛を持つヒツジをウール・タイプのヒツジと呼ぶようですが、その最古の証拠としてよく引き合いに出されるのがイラン西部のテペ・サラブ遺跡から出土した前5000年頃の動物土偶で、その胴体にはV字形の彫型が並んで施されているようです。このV字モチーフがウールの特徴である縮れた毛を表現しているとう研究者がいます。

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イラン 北部から出土した土器リュトン(動物形杯)

シリア〜イラク〜イランでは土器新石器時代から銅石器時代にかけて、平たい半円形の特徴的なタビュラー・スクレイパーと呼ばれる石器が多く出土してます。
この石器は毛を刈るのにも使用されていた可能性が高く、かなり古くから繊維としての羊毛を利用していた可能も指摘されています。また西アジアの気候は夏が厳しくその前には自然に毛が抜け落ちたり、岩などに毛を擦りつけて脱毛する毛を摘み取る事もようにに想像できます。
前3000年になるとメソポタミアの粘度版文書からウール・タイプのヒツジの存在が明確に区別されていることがわかっています。

土器や石器と違いタンパク質の羊毛は土に戻ってしまうので、現物の考古学資料が少ないことから、歴史的な裏付けが見つけにくく、謎が多かったのですが、このところの目覚ましい考古学調査と地道な研究成果から、ヒツジと人間のながいながい共存関係の歴史を知る事ができるようになりました。

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羊毛の糸紡ぎに必要な紡績石の出土品

また日本がその研究をリードしてきたようです。今後にもますます期待したい分野です。

参考文献:羊毛のドメスティケーション 〜ウールの発達と紡錘車〜 須藤寛史著
「遺丘と女神-メソポタミア原始農村の黎明」展 資料 展示会場:東京大学総合研究博物館