「BORO」 世界のアートシーンで評価される日本の古着!

Posted by tribe on 2015年7月27日

こんな会場で一度は展示したいと思うような、フランス中西部のDomanie de boisbuchetという古いお城で行われた展示会を紹介いたします。アンティークのテキスタイルやデザインナーの発表の場として理想的な環境ですが、ここで日本の「BORO」として知られる東北を中心としたヴィンテージテキスタイルの展示が行われました。

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フランスの古いお城Domanie de boisbuchetの展示会1

日本民俗学の父、柳田国夫の「木綿以前の事」にも「秋田などでユブシマすなわち夜衾=夜着というものがまれにまだ残っているが、これは表を藤布として、中の綿を麻のくずにしたものがあった。」という話が掲載されています。
継ぎ接ぎされたボロボロの夜着の中には、枝のようにごそごそしていて、刺さりそうな麻の茎が入れられているのを見た事がありました。

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フランスの古いお城Domanie de boisbuchetの展示2

展示のテーマは『もったいない』の気持ち

展示されているのは、独創的に修復された布団カバー、着物、仕事衣類(野良着)のコレクションで、およそ50点(1850~1950年に残った、藍色の染めの綿を使って日本の農民によってつくられた織物)が展示されています。ほとんどは、ニューヨークに拠点を置くGallerist・Szczepanekの個人的なコレクションから成り立っています。
収集家のSzczepanekさんも、主催のBoisbuchetMathias Schwartz-Clauss(芸術的なディレクター)と並んで共同管理者として、この展示会に貢献しています。
20世紀までは、多くの普通の日本人が貧しかった時代でした。一般の人々が衣類と寝具、そのための織物をめったに買うことができなかった頃です。東北地方では、綿は特に貴重でした。そして、それら衣類や布団につぎはぎするために、古着や古い布団がわの一部が使われました。

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東北地方の継ぎはぎされた野良着

これらの織物の多くは、捨てられることなく、繰り返し繰り返し、代々引き継がれ、直して直して使われてきました。
「BOROテキスタイルはごく一般的な領域の人々の集合的代表であり、貧困であった過去を表現しています。日本の社会が大量スケールをともなう近代化と都市化へ移行していく20世紀中頃において、それらボロはほとんど忘れられた存在でした。しかし、最近ではBOROテキスタイルこそがクリティカルな考えを受け入れ、形式的名前を与えられてはいるものの、文化的な遺産の明らかな具体例です。」と主催者のSzczepanekさんは説明します。
実際のところ、BOROテキスタイルは、たとえば渋さ(sober and modest)、不規則性、不完全さ、わびさび(frawness and simplicity)そして、もったいない(regret about any waste)などの伝統的な日本の価値観と美の基本原理を表現するものでもあるようです。

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フランスの古いお城Domanie de boisbuchetの展示3

これらの特徴は今日の駆り立てられる消費社会とは反対で、その特異性に対する敬意を証明するものでもあります。

「BOROテキスタイル」は現代のマーケットに通用するのか?

BOROとは、日本語のオノマトペを含有するボロボロから由来しています。(それは修理したものか、ぼろぼろの何かを意味する。)同時に我々の利用できる資源、労働と日常的な物に対する評価を示しています。
さらに、不規則に修復されたBOROテキスタイルは現代芸術のコラージュ美学、例えば今日の視覚的アーティストである、パウル・クレーとロバート・ラウシェンバーグまたはブラジルのデザイナー・フェルナンドによる作品とウンベルト・カンパーナらと特徴と驚くべき類似性があります。
BORO –とは手仕事の歴史的な区切りとして、「布の命」を明るく照らし 、今日のデザイナー、アーティスト、熱狂的ファンと、最後だがおろそかにできない私達消費者のために、価値の高いインスピレーションの源として役立っていることでしょう。

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ドイツ人女性二人によるバングラデシュの古布を用いたブランド

今回の展示ではバングラデシュからの創意に富んだテキスタイルの一群と、BOROとが共に展示されます。それらの布は、ドイツ人のテーラーVeronica Lenaさんと、同じくドイツ人の建築家Anna Heringerさん(2013年にBoisbuchetのワークショップの最も重要なリーダー)で支えられる女性の協同組合によってリサイクルされたサリーから作られる手仕事でした。
最近知られるようになった、バングラデシュの女性達の準奴隷制度といわれる高層建築織物工場(危険な建物での仕事環境)のひとつですがで、そこから抜け出す出口を見つけだしています。
彼らは彼ら自身のブランド・アイデンティティを確立し、ひとつのユニークな衣類(まるでヴィンテージに見えるような)に進歩的な社会メッセージを染み込ませ、本物への関心の高い世界の市場へ向けた衣類をプロデュースしました。

日本でもおきている「BOROテキスタイル」への関心と見直し

ここ数年日本でもBOROテキスタイルは見直されつつあるようです。
2009年に浅草にオープンしたAmuse Museumは、故田中忠三郎さんのコレクションを中心に展示している個性的な美術館ですが、現在も古布と浮世絵などの日本文化の展示会を開催しています。
青森県出身の民俗学者・田中忠三郎氏残念な事に、2013年に無くなられましたが、半世紀に渡って青森の山農村を巡り歩き、蒐集を続けたぼろ布たちは彼のメッセージを伝えています。著書『物には心がある。』等々。
生前に田中さんから色々なお話を伺ったことがありました。

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フランスの古いお城Domanie de boisbuchetの展示2

「かつては日本でも自分や自分の家族の衣類を、一家の女性たちが自ら作ることは日常でした。雪国では綿花の栽培ができないため、女性達は麻を植え、繊維をとって糸にして、布を織りました。冬の寒さは過酷で、着ることは食べること以上の死活問題。小さな布の切れ端や糸屑さえも大事な財産でした。一着の着物を何世代に渡って着ることなどは当たり前で、綻びにはツギを当て、過酷な寒さから身を守るために粗い麻布をどんどん重ね合わせ、刺し子を施して補強し、それでも使えなくなった着物は細く裂いて、それで再び新しい布を織ったのです。」

時にはこんなエピソードの語ってくれました。
『真冬の東北はあまりにも寒く、夜は皆が裸になって一枚の夜着にくるまって過ごさないと凍えてしまう、なんで、昼間けんかをしていた夫婦や親子も夜には仲直りする。』笑顔で話す姿は記憶に新しいです。

一方東北や北陸の地元の人達の間ではボロはぼろ、いまさら、貧しかった時代の忘れ形見を人様に見せるのは恥ずかしという思いがあるようです。

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なんども継ぎはぎされた布団皮

個人的にも青森や秋田で年配の方から、こんな物は外では見せないで欲しいという声を聞いた事もありました。

『BORO』はいま、世界のアートシーンで通用する言葉になりつつあるといいます。
『BORO』は文字通り、着古してボロボロになった着物や布のことです。

大切な布を少しでも長持ちさせるためにかけられた膨大な手間と時間。
かけがえのない家族のために培われた手仕事の技術と美的感覚。
それは図らずも複雑なパッチワークを成し、経年の趣をまとい、
消費文明の対極の圧倒的な布文化を生み出しました。

私達日本人が通過してきた貧しくもあった時代を、時には思いだすこともあっても良いのかもしれません。

引用サイト:Domanie de boisbuchet
Tokyo Asakusa Amuse Museum
:国分寺 児島画廊

参考文献 :「木綿以前の事」 柳田国男著
:「物には心がある。」田中忠三郎著