最古の石器ハンドアックスとスマートフォン

Posted by tribe on 2018年1月30日

終ってしまったのですが、最古の石器と「ハンドアックス」〜デザインの始まり〜という展示会に強い衝撃を受けました。
人類最古のデザインがいつ頃から始まったのか? 絨毯やテキスタイルの文様やデザインのルーツに興味を持つ者としては、どうしても知りたいテーマです。

FullSizeRender-(34)
最古の石器と「ハンドアックス」〜デザインの始まり〜

東京大学の総合研究博物館で行なわれていましたが、最終日になんとか間に合いました。伝統ある東大の赤門を初めてくぐり、展示場へと向かいました。

今回の展示はエチオピア出土の石器がほとんどでしたが、エチオピアは人類起源期から人類進化の各段階の世界を代表する化石記録を産出しているようです。エチオピア南部のコンソは200万年前から80万年前の化石と石器を豊富に出土していて、そこから一時借用された世界最古の石器52点が展示されていました。
260万年前に作られた世界最古の「ハンドアックス」から、「出アフリカ」を成し遂げた現生人類(ホモ・サピエンス)の石器など、1990年代から近年までに発見された第一級の研究標本でした。

IMG-2641
エチオピア南部のコンソ遺跡

今回の展示会を企画した東京尾大学総合研究博物館の館長いわく、今回の展示は「ツタンカーメンのマスク」に匹敵するくらいの貴重なものとのことでした。
ところが最終日にも関わらず、会場はガラガラでゆっくりと展示を見ることができました。

モノとココロの統一的な人類史

この展示会を見に行くきっかけになったのは、川上幸一氏の「心の人類史」という本でした。サブタイトルは〜人間が自然と共生してきた200万年〜という本です。
人類の発達とはココロの発達に他ならず、ココロの発達史を知ることで初めて、人類の歴史の統一的な理解が可能になるというのです。
言い換えればヒトが他の動物と違って、人類だけがどうして持続的な発展をとげ、現代文明にまで到達することができたのかを問うことでもあります。
しかしココロの働きには直接の物証が無く、最近注目をあびるようになったステーヴン・ミズンらに代表される「認知考古学」の認知的流動性などの理論が生まれるまで、ココロの発達に関する記述もあまり見られなかったようです。

5-11.large
スティーブン・ミズンの認知的流動性理論モデル

ココロの発達を知る上でハンドアックスを中心とする石器は大きな役割を持つと考えられています。
石を割るという単純な行為は、自然とヒトとの合作であり、そこから人類の発達が見て取れるというのです。
長い長い時間をかけて我々の先祖は石を割り続けてきました。石器というモノから何が見えてくるのか、人類がたどってきた進化と技術、ココロとモノの関わりを理解する上で重要な秘密が石に刻まれているのです。

石を割るという行為による脳の発達とは

ハンドアックスという石器を作るためには、素材(原石)となる石をハンマーストーン(打石)で繰り返し繰り返し叩くという行為が必要です。まずは素材となる石を選び、割れるポンイントを探しあて、そこに適度な強さで叩くことを幾度となく繰り返すことで、道具として使い易いハンドアックスを作りだしました。
我々の先祖は、石を割りながら様々なことを学習していったと考えられます。

IMG-2637
200万年前の石英によるハンドアックス

同時に使いやすい石器を作るには、両手を使ったほうが都合が良いようです。
そこには当然手先の器用さが関係してくることでしょう。
仮に右利きの場合左手に素材(原石)を持ち、右手に持ったハンマーストーン(打石)を要所に繰り返し何度も打ちつけることで、余計な部分の石が剥離し形が形成されていきます。素材(原石)を親指と他の4本の指で支えることから、長い親指を持つ必然性が生まれ、親指の長い類人猿こそがハンドアックスを製作し始めた私達ヒトの先祖となったことでしょう。

FullSizeRender-(35)
左右の手による剥離作業

剥離の作業工程は左手と右手を連動させることで、さらに性能の良い石器が形作られるようです。右手と左手を連動させる動き自体が、右半球の脳(右脳)と左半球の脳(左脳)を活性化させ、左右の脳の役割分担を促し、人類の脳の発達を加速させたのではないかとも考えられています。

竹岡 俊樹氏は著書「日本民民族の感性世界」の中で長い親指を持ち、左右の手と左右の脳を連動させながら、脳全体の発達させた我々の先祖の石器製作を続ける行為が、動物とは違う脳の特殊化を促進させたのではないかと述べています。
原石に形を与えることが、我々の文化を構成するイメージの具象化につながり、思考の原型が出来上がったのではないかと推測しています。

FullSizeRender-(37)
左手の動き〜素材を回転させる〜

最古のデザイン化された石器とは?

175万年前に登場したアシュール型の石器は大型の素材(原石)から20cmを超える剥片をはがし、アーモンド形や逆三角形のクリーパー(丸形ナイフ)を作成しています。我々の先祖は175万年前にすでにデザイン化された石器を製作するという、イメージ化という流動的認知機能を使い始めていたのでしょうか?

IMG-2640
約175万年前のデザイン化されたアシュール型の石器

この時代に見られる大きな技術の変化は、人類の進化においても大きな意味を持つものではないかと考えられているようです。
この時代からさらに80万年ほど経つと、特に「ハンドアックス」はさらに洗練され、機能を越えたデザイン性の高い石器へと変化を遂げて行きました。

個人的にはエチオピア南部のコンソ遺跡で発掘された、90~80万年前の石器に最も魅力を感じています。
側縁の刃部は長く直線的で、全体は三次元で高い対象性を持っています。この時代から時間をかけて美しく完成されたフォルムを持つデザイン化された石器へと変化を遂げて行きます。
この美しさの背後には素材(原石)から礫を剥がしとる技術と素材(原石)を整形加工する二つの技術が関係していると考えられています。

IMG-2648
コンソ遺跡で出土する90~80万年前の洗練された石器
IMG-2649
長い直線の側縁と三次元で対称性を持つ石器

モノである石器に宿る記録(情報伝達)の始まり

極めて私的な妄想でしかありませんが、遥か昔の石器時代のハンドアックスをじっくり見ていると、そのフォルム、大きさ、薄さなど、なぜかスマートフォンが頭に浮かびました。
人類が260万年前からつい3万年程前まで、長い長い年月をかけて発達させてきたハンドアックスには、情報の伝達という側面ももっていたようです。
石器にはそれぞれに形状があり、製作や使用の痕跡も残っています。

IMG-2644
50万年以降一つの原石から大量の石器を作る技術が生まれる

それらは生物学的な記録である記憶に対して、装飾性はまだないものの、人類がモノ(石)に最初に刻んだ最初の記憶とも言えるべきものです。
文章や映像に依る技法の伝達ではないにしても、いくらかはその特徴をつかみ、技法のイメージを持つことが出来たかもしれません。
言語がまだ未発達だったとしても石を割る技術は伝達され、その集団ないし家族に記憶され、継承されていったことでしょう。
その行為は伝統的な部族の手仕事にも共通します。
伝達という知的活動は個体と集団を結ぶ絆のような働きもあったと思われます。人類も動物も進化発達の単位は個体ではなく、集団でした。
そのためには集団間のコミニュケーションが必要であったでしょう。それは現代社会の、SNSコミニュケーションにも似ているかもしれません。

630.46-typical-end-scraper-with-hide-wear
スマートフォンに良く似たサイズと形状のハンドアックス

当然石器も使い易く、その形状が優れたものの技術は継承されたことでしょう。切れ味鋭く、美しく優れた形のハンドアックスは皆の憧れとなり、ここにモノの価値が生まれたのかもしれません。
程よく手にフィットしそうなハンドアックスを、実物に手に持ってみたくなりました。

ハンドアックスとスマートフフォン 〜石器の持つ記憶という情報伝達と現代社会〜

現代の私達の暮らしに欠かせなくなっているスマートフォンは、まさに情報伝達の道具です。慣れた人は片手だけで器用操作している光景を目にします。さらに進めば指一本だけでの操作が可能になることでしょう。ゆくゆくは目線を移すだけで知りたい情報を得られるようになるのかもしれません。

iphone-8-update-in-hand-logo-800x533-c

人類最古の道具であるハンドアックスが我々に及ぼした影響を考えることで、スマートフォン時代に生きるの私達の視点を変えることはできるのでしょうか?
またこの先の果てしない進化という波にに乗り続けて行くことが、果して人類にとってどういう意味を持つのか、ふと考える時間を与えてくれた展示でした。

私達が暮らすこの社会はものすごいスピードで物事がすすみ、情報が多いわりに人と人との触れ合いが少なく、機械だのみのこの時代だからこそ民族の絨毯や刺繍、織物など人間の手で作られたモノに触れることによって無意識にココロのバランスをとっている…  

こんな思いを強く感じた1日でした。

参考文献:「心の人類史」 川上幸一著 
「日本民民族の感性世界」 竹岡 俊樹著 
「ouroboros」 東京大学総合研究博物館ニュース
「心の先史時代」 ステーヴン ミズン著 

ダウンロード
心のビックバンを論じた「心の先史時代」 ステーヴン ミゾン著

主 催:東京大学総合研究博物館
協 力:エチオピア文化観光省文化遺産