🚖ケルマンシャーのタクシードライバー

Posted by tribe on 2020年6月13日

イラン西部の町ケルマンシャーはイランサイドのクルディスタンの中心地にあたり、周辺にはセネ、ビジャー、ハマダンなどの絨毯やキリムの産地として有名な町や村が点在しています。
ファンには魅力的なクルド系部族が織るトライバルラグの宝庫でもあり、絨毯屋なら一度は行っておきたいのがクルディスタンです。

クルド人のドライバー

この願いはイラン訪問10回目でやっと叶いました。テヘランからは1時間弱のフライトで、あっと言う間にケルマンシャーに降り立ちました。
その前の週はイラン東北地方のホラサーンに滞在していたのですが、旅の疲れからかお腹を壊し体調があまり良くありませんでした。
最近はネットでホテルも予約できますが、そのころのイランはネットが繋がり難く、ホテルの予約はしていませんでした。体調が悪かったので早く宿を見つけたいと思いながら、タクシー乗り場へ足早に向かいました。
昔は飛行場の出口には柄の悪そうな無許可ドライバー(いわゆる白タク)がたくさんたむろしてて、勧誘を断るのが面倒でした。
最近では大きな町の飛行場の出口付近に乗り合いタクシー専用の小屋が出来ていて、そこでカードを貰い、それなりに真面目なドライバーを順番に紹介してもらえるようになっていました。
ケルマンシャーは都会なので、テヘランやマシャドなどと同じように紹介場経由でタクシーに乗りこみました。とにかく早くホテルに駆け込みたい気持ちでした。

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クルディスタン地方のクルド族

ドライバーは白髪まじりで少し老けて見えましたが、40代ぐらいのいかにもクルド人という感じの男でした。
乗るなり、『日本人か?』と聞いてきました。『バレ=はい』と答えました。
これはどこか高級ホテルにでも連れて行かれるかと思っていたら、すぐに『オラ水戸に6年いたよ!』と茨城なまりの日本語が返ってきました。
その茨城なまりにすっかり和んで、『日本はどうでした?』と聞くと『とてもよい国だったよ!』。『水戸の人にとても感謝してるっぺ。』と。

片言でしたが日本語で会話が通じ、まずは安くて綺麗なホテルを紹介してもらう事をお願いしました。
ケルマンシャーまでの10日間がかなりハードワークだったので、とにかく綺麗なシャワールームとトイレにたどり着きたかったのです。
紹介してくれたホテルはできたばかりの新しいホテルで、とても清潔、その割には価格もリーズナブル。
テヘランからの飛行機が一緒だった、いかにも仕事ができそうなビジネスマン風な男も偶然に同じホテルでした。
実際に部屋に入ると、広くて居心地よく、シャワールームも人が住める程広く、とても清潔でした。
おかげでその日はホテルでたっぷり休養ができ、生き返ったようでした。
その晩水戸に住んでいたというドライバーに電話をかけ、次の日は朝からケルマンシャー観光をお願いしました。

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ケルマンシャーの街

ケルマン名物ダンダンカバブ

次の日は朝から体調も良く、ホテルの前には約束した時間ちょどうに茨城なまりのクルド人ドライバーが待っていました。
ケルマンシャーは初めてだったので、初日は有名なゾロアスター時代の観光地やバザールの下見などを計画していたので、タクシーで回ってもらう事にしました。
ササン朝イランの「ダーゲボスタン」という遺跡はイランがゾロアスター教の最盛期に出来た遺跡ですが、岩山に掘られた聖者の像の存在感と迫力は見事でした。
例によってイラン人の学生達が見学に来ていて、遺跡よりもあまり見た事無い日本人に興味があるらしく、しきりに声をかけてきます。
日本の東京から来たというと、サインを(記念)欲しいという女子高校生なども居て、すっかりテンションが上がりました。

茨城訛りのドライバーともすっかり打ち解けて、ランチタイムにはケルマンシャーがオリジンと言われている特別なカバブの店へ案内してもらうことになりました。
その名は「ダンダンカバブ」(直訳すると骨付きカバブ)という肉料理ですが、あばら骨がいっぱいついた羊肉の巨大なスペアリブの事です。
マシャド、タブリーズ、シラーズなどの地元の有名レストランで、様々な種類のカバブをごちそうになったのですが、このカバブが最高でした。
味、肉の歯ごたえ、ジュウシーさどれも大満足で120点を付けたいくらいでした。ドライバーに感謝して同じものを進めると、自分はいつも食べられるからいらないと謙虚な姿勢をみせるのです。
こんなに旨いものを紹介してもらった感謝として、ごちそうするといってもナンとチーズだけを食べていました。

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ケルマンシャーの名物料理ダンダンもしくはダンデカバブ

綴織で曲線を表現するセネキリム

ケルマンシャーからほど近いサナンダジ(昔のセネ)という町は絨毯&キリム両方ともに素晴しいものが多く、特につづれ織りキリムは他に例がない程緻密な織で知られていいます。
セネという町は現在のイランにはありませんが、絨毯の結び方の一つである非対称結び(属名ペルシャ結び)も研究者の間ではセネ結び(ノット)と呼ばれています。
セネキリムというブランドは世界のコレクターや愛好家には高い評価と信頼を得ていて、ペルシャ絨毯しか認めないようなプライドの高い絨毯商達からも、緻密な織のセネキリムは一目置かれています。

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ヘラティ文様が表現され代表的なセネキリム

つづれ織りという技法は、直線を織り出すのに適した技法です。それをあえて曲線に挑み、ペルシャ絨毯のような荘厳で曲線的な美しさを出そうとしているのがセネキリムの特徴の一つです。
19世紀末のカジャール朝時代の影響を色濃く受けているようで、その時代に流行したボテ文様(ペーズリー)やヘラティ文様を独特な雰囲気で表現しています。
その曲線綴れ織りの技を真似する産地はイランでもあまり無く、セネキリムの特徴として世界的に知られた名品の一つになっています。
特にカジャール時代の王達に好まれたホースカバーには名品が多く、この旅の目的の一つには出来の良いセネキリムを見つけたいという思いがありました。

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ペルシャ絨毯の典型的なメダリオンが中心にあるセネキリム

その後もバザールや穴場の観光地など色々なところを回ってもらいましたが、ケルマンシャーのバザールは思っていたよりはアンティークが少なく、それほど魅力は感じませんでした。
だんだんと有名なクルド絨毯の産地であるビジャーや近隣のハマダンへの足を伸ばして見たいと思うようになりました。
彼のタクシーで近隣の村や街を探索してもらおうと思ったのですが、翌日は家の大切な用事があるらしく、その日の夜にハマダン行きのバスターミナルまで送ってもらうことになりました。
日本語での観光ガイド、二日間の遺跡&バザール巡り、最高のダンダンカバブなど大満足のケルマンシャーだったので、少しだけ色をつけてタクシー代を払うつもりでした。
ところがクルド人のドライバーはイラン人の旅行者と同じ金額で良いと言い張り、かたくなににプラス料金は受け取りませんでした。
これまで行った様々な地域、特に観光地などでは、観光客と見るとチップを請求されることが多かったので、その気持ちだけでも嬉しくなりました。
これが噂の親切なクルド人なのか、ぼらない、騙さない、それとも日本を経験したためのお返しなのかは、わかりませんでしたがとても清々しい気持ちになりました。

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ササン朝イラン最盛期のターゲボスタン遺跡

クルド人は見た目にはイラン人(ペルシャ語を話す人々)と見分けはつきませんが、イラン民族としてのプライドが高く洗練された印象のイラン人に比べて、温かみがあり田舎の素朴さを併せ持つ人々のように感じます。
ケルマンシャーに行ったなら、水戸なまりのドライバーにまた合いたと思います。
そのことがあって以来、外国人には少しでも親切にしておくと、いつかどこかで返ってくるのかもしれないと思うようになりました。
「あっ。」最初から見返りを期待してはいけませんね。

写真引用:Mr.Y.Fukuyama
https://www.itto.org/iran/
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