★マシャドの八芒星 『魔除の文様』 〜旅で見た夢〜
Posted by tribe on 2020年5月7日
時間があるので、何をしようかと考えつつ本棚を整理していると昔の写真や旅日記のような物が出てきました。
そのメモ書きを元に、現実だったか? 旅で見た夢か? 今では曖昧な記憶を元に綴って見ます。
シーア派最大の宗教都市マシャド
バルーチ族を筆頭に、トライバルラグや刺繍のモチーフには八芒星文様が良く表現されます。
意味は諸説あるようですが、イラン人には珍しい部族絨毯研究家のアリ・ホスーリ氏の「シスターンカーペット」によると、八芒星はダイヤモンドなどの結晶を文様化して表現したものであると意味付けています。
他の多くの研究者の著書やガイドブックなどに八芒星とは、「邪視除け」や「お守り」を意味すると書いてありますが、それまでは良くある「魔除け的文様」の一つという印象でした。
とても大事にしている小袋があるのですが、その両面には八芒星のモチーフが布全体をおおうように刺繍が施されています。
おそらくはかつてウズベキスタン~タジキスタンの国境付近を遊牧していたラカイ族が刺繍したもののようです。
ワイルドながら洗練された文様を表現することで知られるラカイ族の刺繍布は、現在はとても高価で、年々入手がむずかしくなっています。
その袋の中にはカンボジアで見つけた小さな木彫りの仏像、日本の神社のお守りの翡翠の亀、数珠、モフル(イスラムの聖地の土で焼いた宗教用具)等をいれて旅のお供のお守りのように持ち歩いています。
ここ20年ほど毎年欠かさず行っているのがイラン第二の都市で、イスラム教シーア派最大の巡礼地マシャドです。
このところイランの中でも最も変化が激しい町でもあり、行くたびに大型のホテルや商業施設が建設されています。
変化の中心はマシャドの核となるイマームレザー廟で、通称「ハラム」と呼ばれる巨大なモスクは年々拡大し、訪れるたびに規模が広がり、周辺の店や小道が飲み込まれていくという状況が続いていました。
初めて行った1990年代「ハラム」の裏通りには、今にも崩れそうな雑居ビルや小さな土産物店や骨董品を売る店が並んでいました。
この裏通りの骨董店が好きで良く通ったのですが、ここの店の親父が印象的で、いつも黒い粉を舌の裏に入れて、お客が居ても居なくてもボーッとしているのでした。
扱う物はサモワールや天秤計りなどの金属加工品とアンティークビーズで、こちらはもっぱらアンティークビーズを物色して居たのですが、時には掘り出し物を見つけることができました。
マシャドを含むイラン東北地方はホラサーン(日の出る場所)と呼ばれますが、ギリシャ人の歴史家ヘロトドスの「史書」に、文明の最も東にある辺境地域のような意味で「ホラサーン」と呼ばれていたそうです。
天然石の宝庫ホラサーン
現在のホラサーンはイランの東北地方を示し、その州都がマシャドですが、かつてはアフガニスタンのヘラートがホラサーンの中心地として栄えていました。
ここはトルクメニスタン~イラン~アフガ二スタンをまたぐ歴史的魅力溢れる地域で、西瓜、メロン、葡萄などの果物、瑪瑙、トルコ石、カーネリアン(紅玉随)などのの貴石、質の良い羊毛やラクダの毛などの産地として広く知られています。
うらぶれた骨董屋では、この地方の名物でもある古代の石を彫った印章や指輪、ネックレス、シリンダーシールと呼ばれる転がすハンコなど、魅力的な古代の石がそこそこ見つかりました。
或る年、これはお宝と思える数個の石の印章が出て来ました。店の親父によれば、それはイラン芸術の最高峰と評価の高いササン朝ペルシャ時代の作品だというのです。
普段はボーッとしている親父がその時ばかりはあまりにも力説するので、じっくり見てみると確かに風合い、石の輝き、印章の彫の緻密さと芸術性がササン朝のお宝に見えて来たのです。
ただこの祖末な紐で繋がれた石の印章は、絨毯50枚分くらいの値段がしていいてました。幸か不幸か絨毯を仕入れる前に見てしまったのです。
石は全部で13個あり、それぞれが違う種類の貴石で、それぞれに違う彫り物がしてあリました。
中でも気に入ったのが獅子のモチーフと、燭台と思われる物を持つ御者の像、ホラサーンから中央アジアが原産のチューリップのモチーフです。
店にあった粘土版に押して柄を見てみると、どれもくっきりしたモチーフが立体的に盛り上がって出てきます。
「これは価値がありそうだ!」しばし考えると言って店を出たものの、どうしても忘れられませんでした。
結局すぐに店に逆戻り、今回は絨毯を半分諦めて石の印章にしようかと思い始めていました。
ただしこの2000年も前のものをイランから持ち出せるのか?少し気になって親父に聞いてみると「no probrem.空港の者は何も知らないよ!」
確かにそうかもしれないが、売り手たちは皆同じようにそういうだろう。しかしなぜかそのときはその言葉に安心してしまったのです。
おそらくそう思い込みたかったのでしょう。
通関検査であわや没収か?
その年は絨毯の仕入れも充実して、いつも通りの日々をマシャドで過し、いざ出発となりました。
仕入れの計算などで石の事は少し頭から遠離っていました。
その時はササン朝といわれた石の印章以外にも、たくさんのトンボ玉やイラン特産のヤスィーンと呼ばれる石のビーズのお守りなど、かなりたくさんのビーズ類も仕入れていました。
テヘランへ向かう空港へついたとき、小さな黒い袋に手持ちで石のビーズを詰め込んでいたのですが、少し膨らんでずっしりと重くなっていました。
当事のイランの飛行場はとにかく保安がうるさく、出国や移動の際には少し早めに行かないと検査場が込み合うという状態でした。
このところは精密なX線のセンサーの導入でずいぶんスムーズになったのですが、当事はいちいち袋を開けて中身を確認され、時には靴まで脱がされることもありました。
その理由は靴の土踏まずにイラン特産のアヘンを隠しもっていた外国人がいたからのようでした。
その日は搭乗者が少なく係員が暇だったのか、前の乗客達もいちいち中身をチェックされていたのです。
並びはじめてから、少しまずいかもしれないと思い始めると、だんだんか動悸がして冷や汗が流れてきました。
これまではせいぜい200年前くらいのアンティークしか持ちだしていませんでした。
もし本物だとしたら「2000年前だ!」まずいかもしれない。
そんな事を思っていると荷物検査の順番が来ていました。
係員は2人でしたが、ひとりはいかにも面倒くさそうなイラン人タイプ。もうひとりはマシャドには少なくない日本人に近い顔立ちのトルクメン系の若い男でした。
黒いカバンに詰まった石を見て『これは何だ?古い物か?とすかさず聞いてきました。」『少しだけ古い石です。』とごまかそうとしたところ、すかさずそれに反応し、全ての持ち物を全品チェック、例のササン朝の印章を見つけられてしまったのです。
これはまずい事になるかも?
良くて没収、最悪は別室でおとがめかと覚悟したところ、トルクメン系の係員が「八芒星の刺繍入りの小袋」を見つけ、中身はは何だと聞いてきました。「どうぞ開けて」言うと。
中からは数珠やモフルなどいかにも巡礼用の小物が出て来た。男はしずかな口調で「巡礼でこの街へ来たのか?」と尋ねてきました。
思わず笑顔でうなずきました。
男はすべての事情をわかったような微笑みを浮かべて、「ボロウ!ボロウ!=行け。行け。」といいました。もうひとりの係員はなんだかんだと言いがかりをつけたそうだでしたが、モンゴル系の係官のおかげでその場をなんとか無事に通り抜ける事ができたのです。
飛行機の座席に座ってから危なかったとホット一息つきましたが、これもあの「八芒星の小袋が」守ってくれたのか?とじわりとありがたさがこみ上げてきたのです。まさに災い除けのお守りでした。
それ以来その小袋はお守りとして、今でも旅の友になっています。