今年は幻の絨毯は見られるか? 動く美術館・祇園祭の縣装品とはvol.2.〜

Posted by tribe on 2015年7月15日

引き続いて祇園祭の絨毯の見所を紹介したいと思うのですが、今年は世界が認めた幻の絨毯は見られるのでしょうか?
昨年のNHKのTV番組で『祇園祭り 千年の謎』という特集番組をやっていました。
そのなかで鯉山に伝わるゴブラン織りのタペストリーと、欧米の研究者の間で、「幻」と言われるの絨毯が紹介されていました。今回はその絨毯が幻がどうしてなのか?幻と呼ばれる理由を少し掘り下げてみたいと思っています。

幻の絨毯その1.八芒星メダリオン絨毯とは?

さすがにNHK、海外取材も多く日本人の研究者への取材なども含めて久々に本格的な絨毯紹介の番組でした。

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北観音山鉾所有の8角星メダリオン絨毯

幻の絨毯そのひとつは八芒星=8角星メダリオンと呼ばれる、中央に大きめの8角の星文様が配置されている絨毯です。
番組の取材では、この8角星メダリオン絨毯が一時期のオランダの絵画に多く用いられているが、実際にはほとんど残っていないというものでした。西洋美術史に詳しい友人も偶然に、この番組を見ていたらしく早速メールを送ってくれました。
世界中の美術館事情に詳しい、彼によれとこの絨毯は「フェルメールの周囲の限られた地域と時代の、何人かの画家達が繰り返し絵に描いている。」という事でした。番組でもオランダの美術館を取材していて、その当時の代表作であるヤン・ステーン作の絵画「アントニオとクレオパトラの宴」が紹介されていました。

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ヤン・ステーン作「17世紀のオランダ絵画」

オランダ人の絨毯研究者であるOnno Ydema氏は、この8角星メダリオン絨毯が、オランダをはじめヨーロッパにほとんど残っていない「幻の絨毯」であると述べていました。さらに番組では『オランダ絵画』の中の8角星メダリオンと祇園祭り『北観音山』の絨毯文様をフォーカスしてその共通点を強調していました。ただそのときになにか少し不自然な印象をうけたのです。
そこで早速準備してあった資料を広げ、8角星メダリオン絨毯の全体像を見てみる事にしました。
調べてみると不思議な事に日本にはこの『幻に絨毯』が3枚も存在しているのです。
まずは、『北観音山』そしてもう1枚は『函谷鉾』にさらにもう一枚は愛知県の徳川美術館に所蔵されています。
この3枚を良く見比べてみると、かなり古いものなので状態の善し悪しはありますが、『函谷鉾』と『徳川美術館』の絨毯は良く似ています。それに対して、テレビで紹介されたいた『北観音山鉾』の8角星メダリオンは中央は似ているものの、ボーダー部分は他の2枚と少し異なっているように見えます。

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北観音山の胴懸けムガル絨毯

100年の時を超えて同じデザインの絨毯が存在する

これについては興味深い記事が1994年に発行されたイギリスの雑誌HALIに掲載されています。先のOnno Ydema氏もこの記事でボーダーモチーフの違いを指摘しているのですが、世界にほとんど残されていない絨毯が、極東に島国に3枚もあるのものでしょうか?

まさにミステリーです。またさらに興味深いのは、これらの絨毯が作成された年代です。
先の類似する2枚、『徳川美術館』と『函谷鉾』所有の絨毯は欧米の研究でも17世紀となっています。これは徳川幕府がオランダを通じて東インド会社などから購入、もしくは献上された可能性が高く、テレビに出ていたもう一枚は京都市自治100周年を記念した『祇園まつりの美』に江戸寛政3年(1791)=18世紀末と記されています。この根拠は、京都の商人達が残した『寄進帳』に、祭りの飾り物の購入、補修、寄進などの明細な記録が残されているからです。

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Daniel S.Walker著「Flowers Underroof」

このあたりは日本では貴重な絨毯研究者である杉村棟氏の残した『絨毯〜シルクロードの華〜』に詳しく記載されています。こうなると日本にある3枚の絨毯の間には、時間的空白がが存在してしまうことになります。
この時間の開きがどうしてなのかという疑問がつのっていたところに突然、素晴らしい資料が出てきました。アメリカ人の絨毯研究家で、とくにムガル絨毯に詳しいDaniel S.Walker氏の「Flowers Underroof」という本です。この本は祇園祭と8角星メダリオン絨毯の関係について、詳しく解説されています。またNHKテレビにも出演していた祇園祭研究家の吉田孝次郎氏と元メトロポリタン博物館染織部門のチーフでもあった梶谷宣子さんが共同研究をされています。この3人を中心とした共同研究による仮説では、もしかすると「北観音山鉾」の絨毯は東インド会社を通じて、出島に駐留していたオランダ人がインドへ特注したものではないかということです。その有力な根拠として、この絨毯が山鉾の前懸け部分の縣装品にぴったりのサイズであることも紹介されています。そうなると100年後という時間的な背景にも納得が行きます。京都人が祇園祭りを通じて行ってきた、舶来の縣装品復元のかなり古い時代の証拠としても、非常に面白い事実です。

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7月17日の山鉾巡航

京都の人達は祇園祭の縣装品を元に様々な復元を行い、それを自らのモノとして昇華させ、日本各地に広めて来たという歴史を持っています。番組でも紹介されていた、豪商三井家などはまさにそのお手本ともいえるのではないでしょうか?
当時の絨毯織りの技術や羊毛素材の入手など考えると、国内で織るよりもインドに発注した方が簡単という京都人の商才としなやかな感性にはあらためて驚かされます。

写真引用:京都旅屋 ~気象予報士の観光ガイド・京都散策
参考資料:公益財団法人 祇園祭 山鉾連合会 http://www.gionmatsuri.or.jp/