今年は幻の絨毯は見られるか? 動く美術館・祇園祭の縣装品とはvol.3

Posted by tribe on 2015年7月18日

大型台風の四国〜中国地方への上陸の最中、祇園祭のメインイベントである山鉾巡航は予定通り行われたようです。長い歴史のなかでも天候による中止はほとんどないそうですが、この祭りを支えている人達の強い熱意には頭が下がります。祭りは7月31日まで続きます。詳しくは祇園祭日程表をご覧下さい。
今年は幻の絨毯は見られるか? 動く美術館・祇園祭の縣装品とはvol.1
今年は幻の絨毯は見られるか? 動く美術館・祇園祭の縣装品とはvol.2

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8角星モチーフは西アジアの遊牧民にもよく表現されます。

先に紹介したNHKのテレビ「祇園祭 千年の謎」は絨毯好きには、かなりの反響があったようです。
前回の記事で紹介した「幻」のムガル絨毯は西洋でも希少性の高いもののようです。
何枚もの絵画に描かれた8角星の絨毯がどうして欧州にはほとんど残されていないのか?
この謎は解明されていませんが、先に紹介した絨毯研究家のOnno Ydema氏は雑誌「HALI」マガジンの取材で、当時インドのデカン地方で織られた絨毯は当時は以外とたくさん流通していたので、使い切ってしまうケースが多く、日本のように大切に保管される事が少なかったとのではないかと言う意見を述べていました。
そういわれるとモノを大切にする日本でのみ、数点も残ったという理由がわかるような気がします。

常に巡行の最初を飾る「長刀鉾」の謎の絨毯

番組の最後を飾って紹介されたのは祇園祭最大の『謎』とされる「長刀鉾」の絨毯です。
長刀鉾の胴懸けとして飾られている4枚の絨毯は、他の縣装品とは違う地味な印象があります。

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世界にも例を見ない不思議な絨毯

山鉾の側面の向かって左側の絨毯が「幻」と呼ばれる絨毯ですが、中央には梅の木が描かれ、例を見ない不思議なデザインといえます。これまでに世界のどこにも似た絨毯見つかっていないようです。さらに珍しいのはこの絨毯の素材が、硬くて粗い繊維であるとことが紹介されていました。
番組の最後でこの絨毯に使われている素材が、他には類がないものであることがが証明されますが、まずはデザイン構成の特異性から見ていきたいと思います。

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中国の天津などの産地の伝統的な絨毯

上の絨毯は中国北部で織られる、中国緞通として一般に知られる絨毯ですが、日本画にも通じる写実的な花鳥文様が表現されています。
手織り絨毯の発祥であるオリエント地域では、絨毯デザインの多くは、イスラム教が普及した後に洗練されていき、左右対称なアラベスク文様や幾何学文様がモスクの床の装飾として好まれました。今回の絨毯のボーダーは紛れもないイスラム表現であるアラビア文字を図案化した意匠で縁取られています。礼拝用絨毯などに、「コーラン」の章句などの文字が装飾として表現されますが、この絨毯の周りに織り込まれたアラビア文字は、クーフィー体という古いタイプの書体に似ています。クーフィー体のボーダーデザインは、13世紀のセルジューク朝トルコのコニヤのモスクから発見されたグループが特に有名で研究者の間では「クーフィーボーダー」とも呼ばれています。

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コニヤのモスクで発見されたクーフィーボーダーのセルジューク絨毯

上の絨毯は世界的にも最も貴重な絨毯の一枚ですが、11世紀に中央アジアから移住してきたチュルク系(トルクメン系)遊牧民の興したセルジュク朝トルコと深い関係があると考えられたいます。当時の首都があったコンヤのSultan Alaaddin Keykubat Tombから24枚同時に見つかった歴史的もたいへんに貴重な資料です。ちなみにシベリアのパジリク渓谷でに1949年に発見された「パジリク絨毯(BC400)」の出現までは、最も古い絨毯とされていました。祇園祭の長刀鉾絨毯には数千キロ離れた、はるか遠くのトルコのコンヤ絨毯と同じモチーフが使われている事になります。

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13~14世紀のセルジューク朝の動物文絨毯

東西文明交流のプラットフォームを象徴する絨毯とは?

ニューヨークメトロポリタン美術館の研究者ジェームズ・ワット氏も祇園祭りの絨毯を、東西文明をつなぐ貴重なものとして評価しています。彼は13世紀頃の東西文化交流の歴史には「モンゴル帝国」を抜きにしては語れないという説を持っているようです。東西美術交流史が専門で日本におけるイスラム美術の第一人者である杉村棟氏は、文様の伝播とその流れとして東から西へともたらされた中国の陶磁器などの装飾モチーフ(龍や鳳凰)が、イスラム美術に強い影響力を持っていたことをあげています。その背景には、モンゴル系遊牧民の西への制覇が欠かせなかったと述べています。メトロポリタンのジェームズ・ワット氏も同様にモンゴル人は残虐な侵略だけではなく、東西文化交流も支えていた側面があったのではないかと語っています。モンゴル人達は絨毯織り技術を西から東へ、文様は東から西へと、東西文化交流を繋いできたといえるでしょう。その影響がこの絨毯に見て取れる事は意味深く、それが京都という古都に存在している事実には興味がつきません。

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長刀鉾の胴懸けに2枚ならんだ東洋の絨毯

この貴重な絨毯の産地に関しては種々多様な説があり、番組では中国西域、チベット、モンゴルで織られたものではないかと推測していました。最新の話題では、ロンドン本拠地のある「HALI」マガジンが、共通するボーダーを持つフラグメントがチベットから見つかった事を報告しています。カーボン測定によれば95%の確率で1295−1460年に織られたもののようです。これは13世紀にコンヤのモスクでで見つかった絨毯群と同時代で、ここにもモンゴル朝時代がトルコ〜チベット〜中国までの広い地域を繋ぐプラットフォーム存在であったことが想像できます。

中央ユーラシアを繋ぐ絨毯のもうひとつの謎とは?

番組の最後では、この絨毯の素材がフォーカスされ、元メトロポリタン美術館学芸員の梶谷宣子さんと女優の栗山千明さんが長刀鉾保存会が収蔵する実物を紹介し、その毛の一部を専門家に顕微鏡やDNA鑑定などで検証するという展開でした。最後にはその毛がDNA鑑定で「チベットカモシカ」という事で落ち着いていましたが、そこには少し疑問を感じました。チベットカモシカ=チルーの毛といえば世界一しなやかで軽い獣毛といわれる「シャトゥーシュ」と知られる最高級品で、現在はワシントン条約による禁制品です。
シャトゥーシュの毛で織られた大判のショールは、指輪を通すほどしなやかで軽くて柔らかい布(リングショール)で、繊維のダイヤモンドと称されます。映像なので何ともいえませんが、栗山さんが触れた時のコメントではかなり固そうな印象でした。粗野な梳毛といった感じで、彼女が直感的に言葉にした『熊の毛』に近いのかもしれないと思います。ロンドンのHALIマガジンの調査でも小型の肉食獣の可能性を示唆しています。

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新疆ウイグル地区のホータン周辺にも似。た絨毯が見られる

また、全体を見ると絨毯のほとんどの部分の毛足は摩耗していて、採集した茶褐色の毛(hair)の部分だけが残っているように見えました。染めていない原毛は摩耗しにくい傾向があります。染めには金属や明礬などの媒染剤使うこともありますが、鉄分を含む媒染剤は特に劣化しやすい傾向にあります。最終的な結論としての産地をチベットあたりで落ち着かせたかったのは理解できるのですが、実際の素材はチベットカモシカというよりはより黒くて、剛毛な動物の毛ではないでしょうか?素材の部分は少し疑問が残りましたが、全体として、日本では珍しく絨毯を深く掘り下げた内容でした。

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新疆ウイグル地区、ホータン周辺のの19世紀の絨毯

余談ですが、長刀鉾に雰囲気の似たデザインの絨毯をみつけました。絨毯好きの人たちの間でも熱狂的なファンの多いホータン絨毯です。ホータンといえばシルクロードの西域のオアシス都市でウイグル族の人達が多い地域ですが、絨毯も素晴らしく、かつての東西文化の中心ともいえる地域です。この絨毯がウイグル族によって織られた可能性もあるのではないかという想像も膨らんできます。

写真引用:長刀鉾の胴懸け nakatakaよもやま紀行:団子屋のページ

参考文献:シルクロードの華〜絨毯〜 杉村棟著