「絨毯とタピスリー」 バブル経済絶頂期を象徴する雑誌
Posted by tribe on 2015年7月8日
1980年に出版された「絨毯とタピストリー」という本(雑誌)を紹介します。この当時の日本はバブル景気の絶頂期を迎える直前でした。読売新聞社から出版された本格的な『手織り絨毯』に関する、最初で最後かもしれない豪華雑誌の特集号です。
当時の住宅事情といえば、6畳和室が中心の「細切れ」の間取りから、ゆったりした「リビングダイニングルーム」を中心に据えた、「ゆとりのある暮らし」へとシフトしていく時期でもありました。信じられないかもしれませんが、この当時、日本橋三越本店の絨毯売り場はペルシャ絨毯を中心に、総売り上げがなんと「世界で一」を記録したそうです。
こんな時代が背景にあったのか、たっぷりと予算をかけ、じっくりと内容を煮詰めた雑誌が生まれたのでしょう。今から思うと本当に羨ましい限りです。
生活様式の変化が急速に進む社会を反映する内容
このところ昭和中後期の高度経済成長期を懐かしむように、その時代の文化が見直されているようです。当時流行した漫画、雑誌、音楽、等々、今から思うと少し恥ずかしいような部分もありますが、伸びやかで、勢いがあり、何よりもクオリティを高く追求しようとする姿勢があちこちにみられます。その理由のひとつには現在のようにどうにかしてコストを切り詰めようという苦労が、ほとんど感じられないからかもしれません。
この本の編集後記に『今は日本も生活様式が変って、ペルシア絨毯とまではゆかなくとも、大抵の家には洋間があり絨毯が敷かれています。「中略」けれども日本人にとっては、絨毯は心情的にはいまだにあこがれの延長線上にあって、日常使っていながら、その様々な性質はしられていないようです。絨毯はこれからますます生活必需品となるでしょう。』とあります。当時に手織り絨毯を扱う企業やお店も競ってオールカラーで広告記事を出していますが、雑誌の紙質や写真のクオリティ、取材協力のクレジットなど、どれをとっても超一流の企業や個人です。
これからペルシア絨毯や中国緞通などの高級品が日本人にとっても身近になる、ということを暗示しているような雰囲気に溢れています。
本物の手織り絨毯の美しさを紹介
冒頭のコピーには『ひと口に織り物といってしまうには、絨毯はあまりにも人手と時間を費やします。しかしそれゆえに、時代と民族を超えて、人の心をうつなにかがあるのかもしれません。絨毯は人の手が生み出した見事な遺産です。』合わせて世界各地の美術館のコレクションになってる見事な絨毯が紹介されています。トルコ、イラン、中国、アメリカの博物館に飾られているものばかりですが、まずはこれらの絨毯の美しさに目を奪われます。
時代はちょうどシルクロードへのロマンが花開いていた時代とも重なります。ギリギリでしたがアフガニスタンにも自由に行けた時代です。この本のメインともいえる特集記事は現在では故人となってしまった井上靖氏と平山郁夫氏による対談「じゅうたんの旅」です。シルクロードを愛する二人の巨匠の話は、中国西域ウイグル地区〜パキスタン北西辺境州〜アフガニスタン〜イラン〜イラク〜トルコと駆け巡ります。旅の経験も豊富な二人による「じゅうたん談義」は当時の文化人といわれる人達に、シルクロードのオアシスに咲いた華のような「じゅうたん文化」を紹介するには最高のトピックだったことでしょう。
対談の最後は二人とも前世は砂漠に生まれたのでは?というエピソードで閉じられています。今から思えば、どこにでも比較的安全に行けた夢のような時代であったのかもしれません。
絨毯を楽しむ暮らしとインテリア紹介
この本の中でもっとも印象的だったのが「私の自慢の絨毯」というコーナーで、30年以上たってもしっかりと記憶に残っている室内空間の写真が2枚あります。
そのうちの一枚は「日本の民芸家具の中のペルシャ絨毯」というタイトルで紹介されている英国大使館勤務のイギリス人の都内のマンションの一室です。イギリス大使館の広報関係の仕事でイラクに駐在していた時に見つけたというマーシュ・アラブの敷物が部屋中を覆い、合わせて和箪笥やイサム・ノグチ和紙のランプ、アンコールワットのレリーフの拓本などが自然に組み合わされています。和とアジアのたたずまいに加え、ベットとソファがあるという室内装飾は初めてみる世界観でした。カラフルで賑やかなマーシュアラブの刺繍布の床に、シックな抹茶色の壁、漆のお盆の赤、和風の明かりという調度品の組み合わせは、強烈なインパクトであり、その後も長く印象に残っています。
もうひとつは、純粋な和風の室内に敷かれた見事な藍色の和緞通です。こちらも故人となってしまった映画監督の大島渚氏の和室に敷かれた二枚の赤穂緞通も美しい室内を演出していました。この本では鍋島緞通と紹介されていますが、赤穂緞通を織っている方からこのデザインは赤穂の「雲竜」というデザインとのことです。
そのもののデザインと色の組み合わせもさることながら、撮影されたと思われる夕方の日差しが緞通の藍色を見事に浮かび上がらせる効果を華っています。映画の美術監督のすすめで選んだというエピソードが掲載されているのですが、京都の下町で育ったという大島氏の感性が見事に表されているように感じます。それにしてもこのような美しい色彩の緞通にはその後も出会ったことがありません。
世界の絨毯とタピスリーの紹介
目次は大御所二人の対談から、ペルシア絨毯〜トルコ・アフガニスタン・コーカサス・インド・パキスタンの絨毯〜中国の絨毯〜日本の絨毯〜ヨーロッパの絨毯の紹介と続きますが、なかでも中国の絨毯の章はとくに充実してるように思います。当時大流行していたいわゆる天津産の中国緞通だけではなく、北京の故宮博物館に収蔵されている、中国歴代の皇帝へ献上された絨毯が紹介されています。そこには新疆ホータン地域やチベット産の門外不出の貴重な絨毯の写真が掲載されていて、中国絨毯への認識が変りました。その後もこのような見事な絨毯には出会っていません。
それにくらべ、欧米では最も評価の高いコーカサス絨毯がパキスタンやインドなどと同じ章にまとめられ、写真はもとより情報量もほとんど十行程度しか紹介されていません。
巻頭のコーカサスカザック地方産と紹介されている絨毯も実はイラン南部のハムサ連合の部族絨毯です。その辺りは当時の情報不足の感は否めませんが、巻末の「生活に生きる絨毯」コーナーはとてもよくまとまっていて、とくにの「絨毯の効用と使い方」は羊毛の科学的な分析やデーターが丁寧に掲載されていて便利です。
その後35年の間に手織り絨毯は確実に普及していると思うのですが、現在このような充実した情報が得られる書籍やネット上のサイトはほぼみつかりません。
日本に於ける手織り絨毯の市場が衰えてしまうのも納得できてしまうほど、今の状況は厳しいといえるのかもしれません。