Jon Thompson 氏との思い出のべシール(絨毯学を立ち上げた英国人を偲んで)vol.1

Posted by tribe on 2020年7月29日

2020年1月23日世界的な絨毯研究者であるDr.Jon Thompsonが他界されました。
とても影響を受けた本の著者であり、彼が生涯かけて研究と収集を行ったトルクメン絨毯の縁もありました。
一昨年のDr.Harald Böhmerに続き、ここ50年間のオリエンタルラグ&キリム研究を牽引してきた二人の巨人を相次いで失いました
この二人の残した功績を少しでも紹介できればと思います。

手織り絨毯界の二人の巨人

少し前のこのブログでも紹介したドイツ人のDr. Harald Böhmerは化学者として、天然染料の研究を行いまいしした。
長い時間をかけたフィールドワークと本来の専門的知識を融合させた、草木染め研究の集大成「KOEKBOYA」は、羊毛の天然染めのバイブルとして世界各地のクリエイターや研究者に高い評価を得ています。
近代のトルコ絨毯が効率の良い化学染料に変わっていくのを憂いて、天然染料復興運動『DOBAGプロジェクト』を創設、イスタンブールのマルマラ大学で教鞭を取りながら草木染めの復興と普及という輝かしい功績を残しました。

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アメリカの名門絨毯研究会 アリババクラブでのJon Thompson氏

一方イギリス人のDr.Jon Thompsonは名門オックスフォード大学で「絨毯学」という学術的絨毯研究の基礎を築きました。
彼の代表作である「Carpets Magic」では織り手の立場に立った斬新な絨毯生産の分類を行い、世界中の絨毯研究者と我々のような愛好家にも多大な影響を与えてくれました。
1983年ロンドンで行われたICOC国際絨毯会議の最も重要なキーパーソンとしても活躍し、その際の展示会のカタログを兼ねた「Carpets Magic」は、その後に購入ガイド、地図、用語集、書籍紹介、関係資料など様々な付録が追加され
「ORIENTAL CARPETS From the tent,cottage and warkshop of Asia」というタイトルに変更され、絨毯関連書籍のベストセラーになりました。
同時にトルクメン絨毯の研究にも目覚ましい情熱を注ぎ、1980年にアメリカワシントンDCの当時のTextile Musium(織物美術館)に置いて「Turkmen tribal carpets and tradition」というトルクメン絨毯を支族ごとに分類した画期的な展示会の企画を行いました。
トルクメン絨毯を中心にしたトライバルラグの美術的、民族的、歴史的価値を高めた立役者の一人であることには疑う余地はありません。

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Carpets Magicに掲載された最も好きな写真の一枚(トルクメンの少女)

個人的にもJon Thompson氏の「Carpets Magic」からは大いなる影響を受けました。初版本の「Carpets Magic」とその後に編集された「ORIENTAL CARPETS」は展示会などでも度々紹介してきたので擦り切れて、ついに5冊目になっています。
絨毯の成り立ちや、特にトライバルラグが完成するまでのわかりやすい写真も多く、この本には今でも本当にお世話になっています。

彼の死後すぐに英国の絨毯関係者から追悼のコメントが発表されていましたので紹介したいと思います。

Jon Thompson氏の功績

1970年代以降、イスラム絨毯研究に最も影響力のある貢献者の一人であった英国のイスラム絨毯・織物学者、Jon Thompson博士が2020年1月23日に逝去されることを、大きな悲しみと遺憾の意をもって読者の皆様にお知らせしなければなりません。
ケンブリッジ大学出身の医師で、医学を捨てて絨毯やイスラム芸術の周辺分野に関心を持ったトンプソン博士は、主要な国際会議やシンポジウム、さまざまなラグ協会の会合で魅力的な講師を務め、大英博物館、オックスフォード大学、サザビーズを通じてラグや絨毯のコースを教える立派な教師でもありました。
慎重に考え抜かれたプレゼンテーションは知的で明快なことで知られていますが、彼が初めて注目されるようになったのは、クロスビー出版社がA.A.Bogolyubov氏の書籍の英語版を注釈付きで出版したことがきっかけでした。
A.A.Bogolyubov氏が1908年に残した代表作「Carpets of Central Asia」をJon Thompson氏はこれまで分類されていなかった、サロール・トルクメンの織物のいわゆる「S」グループ*1を定義して再構成しました。

また、1980年にワシントン・テキスタイル・ミュージアムのICOCで開催された「TURKMEN」展の図録の主な共著者であり、共同キュレーター(ルイーズ・マッキー氏)との共同企画を行いました。

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ワシントンD.C.のテキスタイルミュージアムで行われたTURKMEN絨毯の展示会の図録

2001年から2007年まで、Jon Thompson氏ははオックスフォード大学のアシュモリーン美術館とカリリ研究センターでカーペット研究のメイ・ビーティー・フェローを務めました。
在学中には、2003年に開催された「イラン世界1300年のカーペットとテキスタイル」をテーマとした国際シンポジウムを企画し、大成功を収めました。
2008年には、テキスタイルアート分野への多大な貢献が認められ、ワシントン・テキスタイル・ミュージアム(織物美術館)の創始者であるジョージ・ヒューイット・マイヤーズ賞を受賞しました。
直近では、2019年6月にロンドンのナショナル・ギャラリーで開催された雑誌HALIの30周年記念式典で特集講師の一人を務め、オリエントのラグにおける色知覚について明晰で記憶に残る講演を行いました。
最後まで忙しく活発に活動していた彼の死は、多くの重要な仕事を後世に残しました。彼の死は、友人や同僚にも惜しまれることでしょう。

Jon Thompson氏と思い出のべシール絨毯

個人的に記憶に残るのは、1980年台の西側諸国とソ連の冷戦が激化する中、ソ連時代のトルクメン研究者であるElena Kordik女史らとソビエト所有の貴重なDudinトルクメンコレクションに関して、数々の困難を乗り越えて共同研究を行ったことです。
当時は東西冷戦の真っ只中でした。キューバ危機など一触即発の状況下にありながら、トルクメン絨毯を通じて冷え切った東西両陣営の交流の架け橋になったことに深い感銘を受けました。

彼の功績にもたびたび登場するICOC(国際絨毯会議)は、絨毯愛好家にとってサッカーのワールド杯のような催しで、このタイミングに合わせた大きな展示会、イベント、書籍の出版などのイベントが長い間行われてきました。
兼ねてから一度はICOCに参加してみたいと願っていたのですが、欧州かアメリカ大陸のどちらかで交互に行われていて、それだけのために旅費、宿泊費、そして参加費用(530ドル程度=58000円)を捻出するのはとても無理だと諦めていました。
ところが2007年はICOC(国際絨毯会議)11回目が初めてアジアサイドのイスタンブールで行われることを知りました。
当時(現在も?)トルコ航空はイランの一都市を経由しても価格は同額でしたので、イスタンブール経由でイランへの仕入れの帰りのトランジットを利用していくことを思いつきました。
ただ参加費用は家族には内緒でした。

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ICOC国際絨毯会議イスタンブールの展示会場の一つドルマバフチェ宮殿での出会い

こうしてなんとかイランの帰りに参加することができたのですが、もちろん憧れのJon Thompson氏に会えることも楽しみの一つでした。
ICOCの会場はイスタンブールの最高級Swissotel The Bosphorus(ボスポラス)でした。
こちらの宿泊先は旧市街地スルタンハメットの庶民的なホテルで、そこから毎日路面電車で会場まで通いました。ICOC国際絨毯会議についてはいつかまたじっくり紹介したいと思っております。

ちなみ2020年も10月に2回目のICOC(国際絨毯会議)がイスタンブールで開催される予定でしたがコロナ禍で来年以降に延期が決まりました。
Swisshotelでは、大きな二つのホールを貸し切って、32名以上の講師によるレクチャーが並行開催されていました。
同時間なのでどちらに参加するかを迷うのですが、Jon Thompson氏の講演だけは逃さないように、会議カタログに真っ先にチェックを入れました。

Jon Thompson氏の講演会は4日目だったので、それまで緊張していたのですが、偶然にその前に出会うことができたのです。

話がなかなか核心へ進みませんが、実は1993年にニューヨークのsotheby’sのJon Thompsonと奥様所有のトルクメン絨毯を購入していて、その話題を紹介するつもりでした。そのトピックは次回に続きます。

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ICOC国際絨毯会議でも常に主導的な役割をしていたJon Thompson氏

*1トルクメン絨毯の「S」グループとは:19世期以前に織られた、トルクメンのサロール支族のジュワルという袋物に織られたギュル(「S」グループ)についての論争で、それ以前の他に影響を受けていないトルクメン絨毯の、結び目(開く方向)が独自であるという説とその話題についての論議。
参考資料:TURKMEN RUG STUDIES: Some “S” group ‘salor’ gol chuval Examined

参考文献:●「Carpets Magic」 by Jon Thompson
●「ORIENTAL CARPETS From the tent,cottage and warkshop of Asia」 by Jon Thompson
●「TURKMEN」 by Jon Thompson

参考サイト:Dr Jon Thompson The Khalili Research Centre
The HAJIJI BABA CULB 「Dr. Jon Thompson’s Curatorial Journey Through the Hajji Collections」 

●tribe-log.com 「オックスフォード大学で「絨毯学」を立ち上げたJon T.教授の本を読み解くには?」
●tribe-log.com 「推薦!トライバルラグを知るための本「Carpet Magic.」

●tribe-log.com 「NOMADS IN ANATOLIA」By Dr. Harald Böhmer  〜草木染に一生を捧げた人 〜 vol2. 『アナトリアキリムの部族分類』
●tribe-log.com 追悼! Harald Böhmer氏 〜草木染に一生を捧げた巨人 〜