Jon Thompson 氏との思い出のべシール vol2.
Posted by tribe on 2020年8月5日
国際絨毯会議イスタンブールで念願の遭遇を果たしたJon Thompson氏ですが、その出会いは偶然にやってきました。
Jon Thompson氏がチェアーを勤める「イランの絨毯」についてのレクチャーは会議の4日目でしたので、その際には必ず会えると考えていました。
初日は朝の9時から3つの講座を受講しました。久々に集中して聴く本場の英語が頭の中を駆け巡って、ふらふらになりながら、レクチャーを終えました。
疲れた体を引き摺りながら、展示会場の一つであるドルマバチェフ宮殿に向かいました。
オスマントルコ帝国の宮殿でもあり、現在はトルコ共和国の迎賓館としても使用される豪華絢爛の建造物ですが、中でもビクトリア女王から送られたというシャンデリアが有名です。前日は夜中のフライトでテヘランからイスタンブールへ到着し、ほぼ眠らないまま初日の受付とレクチャーを聞いたのでボーッとしながら、世界最大級のシャンデリアを見上げていた時です。
前方に写真で見ていた特徴的な口髭をはやしたJon Thompson氏が何人かの取り巻きに囲まれて立っておられました。
思わずカメラを取り出して、遠くから撮影したのですがあまりの緊張で大ボケでした。まるでアイドルの追っかけさながらのハイテンションでした。
今から思うと、50に近いおじさんが70を超える学者を、隠れて撮影するのは滑稽です。
絨毯好きの世界では、最も有名な研究者である彼の周りには、何人ものコレクターやキュレーターが取り巻いていて近寄りがたい雰囲気でした。
ただ世界的にも有名な宮殿の真ん真ん中で遭遇できたことは嬉しく、興奮しました。
ドルマバチェフ宮殿もICOCの展示場の一つでしたが、いわゆる宮廷用の豪華絢爛な絨毯ばかりが展示されていました。
その日は初日と旅の疲れから、一枚のホータン(新疆ウイグル)絨毯以外はそれほど感動せず、ICOCは噂ほどではないかな?などと思っていましたが、直ぐにその思いは180度変わりました。
Jon Thompson氏から購入したべシール絨毯
このブログでも何度か紹介してきたベシール絨毯ですが、個人的にも最も好きなテイストを持つトライバルラグのひとつです。
絨毯屋を始めて間もない頃に、相当に無理をして手に入れたのがこのベシ-ルと呼ばれる絨毯でもあります。
1993年の12月16日にニューヨークのサザビーズで行われた、「Turkmen & Antique Carpets from the Collction of Dr.&Mrs.Jon Thompson」のオークションで入手したのです。
このオークションは欧米の絨毯業界ではかなり話題になりました。現役最高の絨毯学者であり、特にトルクメン絨毯に関しての研究と収集で有名なJon Thompson夫妻のコレクションが売りに出されるということだったからです。
30年近く定期購読している「HALI」という絨毯マニアの雑誌で知りました。
一般的にプライベートオークションは、亡くなるとか、離婚、会社の倒産などの理由でコレクションが手放されるケースはあるようですが、バリバリの現役で81点に及ぶ、最高レベルの収集品が突然オークションに出されるという事が話題になっていたようです。
ちなみに彼のコレクションの中でも最高峰といわれていた、サロール支族のエンシ(テントドア用絨毯)はそのオークションでには出品されませんでした・・・。
早速カタログを取り寄せて、購入できそうなエスティメート価格のもの3点に絞込んで、いざオークションに望みました。
どれもこれも欲しい物ばかりで、とにかく価格が競り上がらないように祈るばかりでした。
ところが期待に反して、やはり予想どうりに価格はどれもがうなぎのぼり、来ている絨毯商やコレクターは世界的にも有名な人達ばかりです。
雰囲気はアカデミー賞の受賞式のよう、中にはタキシード姿に蝶ネクタイといういでたちの紳士もいて、皆がこのイベントを楽しいんでいるようでした。
最初にピックアップしていたものはみな2倍以上の値段に競り上がり、諦めざるを得ませんでした。オークションに不慣れな者としは、難しい技ですが、競売で良いものを安くゲットするには最初に出来るだけ安い価格でスタートするというのがコツのようでした。
会も中盤に差し掛かり、もう半ば購入を諦めかけていましたが、個人的なラッキーナンバーでもある#33番の絨毯がこちらに歩み寄ってきてくれました。
まさに絨毯のほうからこちらにすっと、飛んでてくれた感じだったように、記憶しています。そのべシールだけが不思議にもエスティメート価格のほぼ範囲内でした。
カタログの解説によれば『19世紀の作品:このラグは楽しげな色彩とこの地域では非常にまれな古いタイプの絨毯の大きさを維持している。これは遊牧民の手によるものではなく、フィールド部分のデザインは絹製のイカット(絣)に直接の起源がある。
しかしながら、色彩は典型的なエルサリ氏族のものであり、おそらくはAmu Darya渓谷に定住するエルサリ氏族によって作られたものであろう。』
この絨毯がエルサリべシール絨毯です。展示会などでも紹介して来ましたが、不思議と縁が無く今でも手元にあります。かなり永らく一緒ににいるせいか、相当に愛着がでています。
このエルサリ支族とベシ-ルの関係ですが、このベシ-ルが部族のグループ名を指すのか、地域を指すのかなどの定義づけには、多くの研究者も苦慮しているようです。
今後もこのブログや研究会などでその特徴を少しずつ紹介出来ればと思います。
Jon Thompson氏このはワシントンD.C.の織物美術館で出している図録の中でBUKHARA(ブハラ)という地名でこのベシ-ル絨毯を分類しています。
また長さ6メートルを越えるビッグサイズの多いベシ-ル絨毯のなかで、#33は珍しいサイズのプレ工房モノということも考えられます。人は与えられた結果を良い方に考えます。
アラスタバザールの絨毯屋で再会
ICOC国際絨毯会議は充実したレクチャー世界最高峰の絨毯の展示がメインですが、それにプラスホテル内の販売ブースでのお買い物という楽しみがあります。さらに当時最も盛り上がっていたイスタンブール界隈の絨毯屋巡りも外せない楽しみの一つです。
旧市街のアラスタバザールにはアンティーク絨毯を扱うお店が何限か並んでいて、夜はそれらの店をひやかすのも絨毯好きにはたまりません。
当時イスタンブールで有名だった2人の絨毯商の対決も話題になっていましたが、そのうちの一人がmehmet.C.氏です。彼はICOCに合わせてショールームをリニューアルしていて、素晴らしい雰囲気の店に出かけた時のことでした。
店は3階建でしたが、狭い階段を上がろうとした時偶然Jon Thompson氏に出会ったのです。その際、彼は2〜3人連れでこちらは一人、こんなチャンスは滅多に来ないだろうと直感しました。
憧れの映画スターに出会ったように、心臓がバクバクでした!頭が真っ白になって、それまで話そうと考えていたことは全部忘れていました。
ただ、日本人で、絨毯が大好き、ディーラーとして、ニューヨークのサザビーズであなたのコレクションを購入したと言うことだけはなんとか伝える事ができました。
狭い階段でしたが、その踊り場に立ち止まって、「そういえばオークションの販売書類に、一人だけ日本人のような名前があった。」と思い出すようにゆっくり話してくれました。
『ウワッ!!!』それだけでもう十分でした。ICOCの高額な参加費用なども忘れるほど、嬉しい体験でした。
その晩はホテルに戻っても寝つかれないほど興奮したのですが、実は絨毯の神様の演出かもう一度Jon Thompson氏に会って話をするチャンスが巡って来たのです。
長くなりそうなので、その続きは次回にしたいと思います。
参考サイト:●tribe-log.com 「Jon Thompson 氏との思い出のべシール(絨毯学を立ち上げた英国人を偲んで)vol.1」
●tribe-log.com 「オックスフォード大学で「絨毯学」を立ち上げたJon T.教授の本を読み解くには?」
●JOZAN.net