色とデザインの宝庫アフシャール族の毛織物
Posted by tribe on 2017年8月26日
しばらく、ブログの更新が滞っていましたが、ここは原点戻ってトライバルラグを織る部族の紹介を続けたいと思います。
絨毯を織る遊牧民達がどうして部族にこだわり続けてきたのか?
なぜ海外では遊牧民の絨毯「ノマディック・ラグ」ではなく部族の絨毯「トライバルラグ」なのか?そのあたりも少しずつ、追求してゆけたらと思っています。
12世紀に中央アジアからイランに移住し、その後イラン各地を点々と移動してきたアフシャール族を紹介します。アフシャール族とう名前を聞いた事ある人は少ないかもしれませんが、豊かな色彩と力強いデザインを持ちトライバルラグファンにはマニアックな人気を保ち続けています。ただしオリジナルの古い物はほとんど納まるまるところに納まり、最近ではたいへんに貴重になりつつあります。
アフシャール族とは?
主な居住エリア…(イラン南部ケルマン地方、イラン北西アゼルバイジャン地方、イラン東北ホラサーン地方)
主な集積地…(二リーズ・シルジャン・ラフサンジャン・マシャドなど)
アフシャール族はトルコ語を話す部族のなかでは歴史も古く、最大のグループはイランの南部をメインに遊牧を続けています。テリトリーの周辺にはペルシア絨毯で有名なケルマン市があり、19世紀以降は都市工房の影響を受けた華麗な絨毯やスマック織りが織られてきました。遊牧生活で織られるラグや袋物のの特徴は、鮮やかでメリハリのはっきりした色調と力強いデザインです。
彼らのルーツもシャーセバンやカシュガイと同じ、11世紀頃中央アジアから移動してきたにオグズ族もしくはGhuz族というトルコ語を話す集団です。一説では12世紀にトルケスタンのキプチャク汗国からイランに入ってきた人達とも言われています。
アフシャール族のもう一つの特徴はイラン~トルコ~中央アジアにかけての広い地域に、つい最近まで拡散しながら遊牧生活を続け、その飛地において、他部族と融合せずに彼らの個性を保持してきたということです。
イラン各地に点在するアフシャール族
●イラク東部:~イラン南西部国境のフーザスタンのアフシャール族。彼らは最も古いアフシャールの元祖です。
●アザルバイジャンのアフシャール族:~シャーサバンと同じくサファビ朝時代にロシア国境に配属された人達です。
●イラン北西部ハムセ地方のアフシャール族:~クルド族やシャーセバン族が多く住み、絨毯やキリム織りの盛んな産地ですが、ハマダン、ザンジャンなど古くから良く知られた絨毯の集積地でもあります。紛らわしいですがイラン南部のアラブ系ハムサ連合とは違う地名です。
●イラン東北地方のトルクメニスタン国境に近いホラサーン地方のアフシャール族:
~彼らもサファビ朝時代にイランの東北地方に存在するトルクメンやウズベクの侵入を防ぐために配置されましたが、17世紀にアフシャール族であったナデルシャー・アフシャールが台頭するという皮肉な面もありました。
●イラン南部のケルマン地方のアフシャール族:
~絨毯やキリムにとって最も重要な人達が住む地域です。自家用に織られたオリジナル絨毯の欧米での評価は極めて高く、深い色彩と不思議なモチーフは印象的です。モチーフはとらえどころがなく、様々なバリエーションが見られますが、鮮やかなメリハリのある色の組み合わせは、トルコ系遊牧民に共通して見られます。
本場イランでも19世紀のオリジナル絨毯を見つけるのは困難で、これまでに”これこそアフシャール!”という実物を見たことはありません。欧米の研究者やコレクターに所有されているものを見る限り、どれも素晴らしく、日本でも本物を見たいものです。
西・中央アジアの広大な地域で遊牧生活を続けてきた彼らは、各地で先住のイラン系部族や、後から侵入してきたモンゴル系騎馬民族等との交流の中から、洗練されたデザインと高度な技法を吸収してきた人々と言えるかもしれません。大胆で力強い部族的モチーフや、洗練されたデザイン、現代アートのようなポップなパターンまで幅広い表現力を持つ人々と言えるでしょう。
アフシャール族の絨毯やスマック織りの文様には、よくボテ(ペーズリー)を並べたモチーフが表現されます。
大形の大胆なものから、小さめを並べた小紋の連続文様のようなおとなしいものまで、そのヴァリエーションは多様です。これは近隣のケルマン地方が古くからショールなどの刺繍布や洗練されたペルシャ絨毯にボテ文様が表現されていて、その影響が強かったからだとも言われています。